文献短評

 
 
 
『馬の世界史』

本村凌二
講談社、2001年(講談社現代新書)

 老若男女の別なく競馬に興じる昨今、歴史学者が競馬好きでも不思議ではない。本書の著者もその一人である。馬好きの歴史学者なのか、それとも歴史学者は世を忍ぶ仮の姿か。ともかく、馬好きが高じてここまで来れば天晴れと言うべきか?

 さて、本書の内容について述べると、『馬の世界史』と題しているが、その試みは失敗に終わっていると言えよう。まず感じることは、特にイスラム史や中央ユーラシア史の分野に関して、その論の殆どは借り物であって、新しいと感じるようなものはない、ということである。評者は以前、杉山正明氏の書物について短評を書いたことがあるが、その杉山氏の著作を読み返しているように感じた。著者は西洋史の研究者ということで、アジア地域に関する記述を、他の研究者の成果に頼らなければならないことは分かるが・・・。

 また、第4章で「馬と草原≒船と海」という構図が示され、ギリシア人やローマ人が馬から船に乗り換えることで、地中海を席巻したと述べているが、いささか強引のように思われる。それならば『船の世界史』という題で、別に論を進めるべきであろう。 非難に終始するのも、気が咎めるので、見るべきところを指摘しよう。まず、著者は競馬や馬そのものに対する造詣が深いと言うことで、馬の家畜化・飼育方法、馬の品種改良や馬術などについての記述が詳しく、充実した内容になっている。特に、今日の競馬につながるような、西洋世界の競馬や戦車競技、あるいは馬の品種改良などについての記述は、競馬好きならではの視点で書かれており、新鮮である。また、これらの記述を読むに連れて、上記の内容について、イスラム史の分野で解明されていることが非常に少ないと感じた。イスラム世界の馬の品種改良や飼育方法、馬術などについては、我々に課された課題である。

 本書の題のような試みは魅力的なものであり、著者が指摘するように馬が世界史に果たした役割は非常に大きいものであったことは同意できる。しかし、上で述べたように、アジアに関する部分の論が、原史料に依らないお粗末なものであったため、失敗している。著者はまず、専門分野である西洋史に限って馬と人との関わりの歴史を書くべきであった。その方が、著者の能力が遺憾なく発揮された書物になったことであろう。(東京大学博士課程 橋爪烈)

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『現代イラン―神の国の変貌』

桜井啓子
岩波書店、2001年(岩波新書742)

 以前にもこの欄で著書を紹介した桜井啓子氏が、一般向けに面白 い本を書いた。この本は1979年のイスラーム革命から2001年の今まで、イラ ンとイラン人がどのような時を過ごしてきたかを、5つのトピックを通じて語ってい る。面白くタメになる本であり、イランに関心のある方にはぜひ読んでいただきた い。

 第一章で読者は、第二章以下の各トピックを理解し、より大きな文脈の中に位置づ けてゆく基礎、すなわちイラン・イスラーム革命の顛末とイラン・イスラーム体制の 理論的支柱「ヴェラーヤテ・ファギーフ」論の何たるかを押さえることができる。

 続く二〜六章は、それぞれ殉教者、祖国をあとにした人々、イスラーム神学校、教 育と若者、ヴェールの向こう側、と題され、順に、革命とホメイニーに命を捧げた若 き戦士たち、ロサンジェルスなどで暮らす国外のイラン人たち、イラン国内の神学校 の持つ革命輸出機関としての働き、イランの子供たち若者たちを取り巻く教育事情、 イスラーム体制下の女性たち、を扱っている。革命イランに戻らない、戻れない通称 イランジルスのイラン人たちにとってのイラン、ゴムの神学校で寮生活をおくり革 命アートを創るシーア派留学生たちにとってのイラン、読者は、五つのトピックから 見えてくるあれやこれやのイランとイラン人を立体的に組み合わせて、かの国とかの 人々の抱える問題をかなりよく知ることができるだろう。

 第七章は第一章と対になっている。1989年のホメイニーの死、1997年のハー タミーの大統領就任といった画期を経ながら変化を続ける革命イランの俯瞰図を見な がら、読者は本書で出会った生身のイラン人たちの今後に思いを馳せることになる。 そして、この極めて興味深い社会への関心の高まりを実感するのである。
 本書の特にユニークな部分は、ゴムやマシュハドの女子神学校についての箇所であ ろう。なにせ著者は体験入学までして、そこでの発見を書いているのである。さらに、 そうしてイランで出会った留学生たちの出身地であるタイやパキスタンにまで出かけ て行っている。著者の研究対象への共感と好奇心、そして実行力には敬服するかぎり だ。

 なお、この本は、大学での半期の授業の教科書にもってこいだ。第一章の内容に関 する講師のレクチュアから始め、各論部分はグループ発表。最後の7章についても、 この本で述べられている以降のことをも調べての学生のグループ発表というのはどう だろうか。早速来年度やってみようかと思っている。(森本一夫)

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『歴史とは何か』文春新書、2001年
『歴史の読み方 日本史と世界史を統一する』
弓立社、2001

岡田英弘

 岡田英弘氏(http://www.php.co.jp/VOICE/people/okadah.html)の歴史認識に関する新著が立て続けに刊行された。若干26歳で学士院賞を受賞するという華々しい経歴を持つ氏は、専門とする東アジア史のみならず世界史全体を見据えた著作を多く著している。この二冊の新著も、「考古学は歴史ではない」「入試から世界史を廃止せよ」「応仁天皇までは7世紀の創作」など、刺激的(ときにエキセントリック)な論考が目白押しである。

 なかでも評者が強く同意できるのは、(過激さという点ではそれほどでもないが)『歴史とは何か』の結語で、「よい歴史」とは何かを論じた著者の主張である。著者によれば、「よい歴史」とは、道徳的・功利的価値判断ではなく、資料のあらゆる情報を一貫した論理で解釈できる説明のことである。ただし「よい歴史」が他人に、特に国家に歓迎される事は少ない。しかし「よい歴史」には、文化、好み、時代の如何を問わず多数の人を説得できる力が強いという効用を持つ。国民国家の対立も、「よい歴史」があれば、かなり中和できるだろう・・・。この著者の提言は、歴史研究の成果を単なるイデオロギー対立の産物に還元し、無見識な相対主義に引きこもる、知的に怠惰な一部の人々に聞かせてやりたいものである。

 このように刺激に満ちた本書ではあるが、東アジア史に関する切れ味鋭い議論とは逆に、著者の専門外の地域に関する記述では、少なくない数の誤りが見受けられる。二例だけ指摘する。

 『歴史とは何か』の冒頭では、イスラームの歴史意識に関する記述があるが、多くの誤りが見受けられる。例えば、歴史はイスラームの「文明の内部では意義の軽いもので、イスラムの歴史学は地理学の補助分野だった」とある。イスラームの歴史叙述が地理学と深い関わりを持っていたのは確かだが、元来イスラームにおける史学はハディース学の延長、補助学として発展したから、これは誤りである。また初期の時代では歴史が「宴席の夜語り」として低い位置に置かれていたのは事実だが、中世に入り大きな発展を遂げた事を見落としてはならない。ましてや、初期イスラーム史における歴史の地位の低さを理由に、現代のイスラーム諸国が「歴史の取り扱いが苦手で、未来の見通しが不得意」とするのは、たちの悪い本質論であるとしか言いようがない。

 また、「世界史は成立するか」(『歴史の読み方』所収)という論考では、中国の史学思想をゆがんだ形で受け入れた日本史学史が批判される。しかし、文化史が省みられなかった日本の近代歴史学を「中国式の政治史偏重」だとした箇所は不可解である。もともと日本の近代における史学研究は、ランケの弟子であるリースによってドイツ的な近代史学が導入されたことから始まる。ランケ史学の特徴の一つは政治史・外交史の重視であり、当時の西欧における歴史学は政治史・外交史とイコールであったといっても過言ではない(そして、それに反旗を翻したのが文化史家ブルクハルトであった)。であるから、著者が「学問・文化・思想・芸術など」を「西欧的な考え方では当然歴史の中心をなすはずの部分」と無限定で言及するのは、近代史学史を全くふまえていない発言であろう。「歴史とは何か」という、この根本的な問題に答えるには、正確な史学史の理解無くしては不可能である。

 幾つかの誤りを指摘したが、このような問題定義の書に些末な批判をするのは無粋というものであろう。むしろ事実誤認や史学史理解の不正確さは笑って許して、そのラディカルな指摘を楽しむのが正しい読み方といえよう。(小笠原弘幸 東京大学大学院博士課程)

・関連リンク

『歴史とはなにか』書評
山内昌之氏 http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2001/0422/05.html
山本博文氏 http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/syohyou/0422_02.htm
『歴史の読み方』書評
鷲田小彌太氏 http://ilk.co.jp/washida/nichinichi/0003.html

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『フランス・インド会社と黒人奴隷貿易』

藤井真理
九州大学出版会、2001年

 本書は、藤井真理氏が1999年に九州大学大学院に提出した博士論文に加筆し、修正を加えて出版したものである。

 近年奴隷の供給地または消費地である非ヨーロッパ世界に視座を据え、その内部へ分け入る手法により、18世紀黒人奴隷貿易のメカニズムの解明と全体像の考察が試みられ、かなりの成果を収めてきた。しかし、その一方、本国フランスで形成される黒人貿易の制度的基盤、政策については関心が希薄となりがちであり、フランス・インド会社のような重商主義政策により設立された特権会社についての研究は空白となっていた。

 本書は、このような黒人奴隷貿易研究の動向を踏まえ、研究視座をフランスに据え、特権会社である「フランス・インド会社」による18世紀フランス黒人奴隷貿易(セネガル黒人奴隷貿易)の考察を試みた斬新な論文である。著者はまず、フランス・インド会社の経営に関わる3つの問題を提示する。この3つの問題を1つにあえてまとめてしまうならば、「一体何が、フランス・インド会社のセネガル黒人奴隷貿易の経営、特権貿易を保証したのか?」ということであろう。著者は各章において、「開封王書」、「国務顧問裁決」、「会社設立証書」、「奴隷船の帰国申告書」などを史料として用い、フランス・インド会社による18世紀黒人奴隷貿易の「制度」と「実務」の両面からこの問題の検討を試みている。

 この「制度」と「実務」の両面からの考察の結論は非常に興味深い。ごく簡単に紹介すると、フランス・インド会社は一方で「実業家による会社経営」と「現地の勢力圏」を柱とする貿易の「制度」を確立する。他方、「実務」面では、特権保有者として現地商業活動を担当するインド会社は、船舶を艤装し植民地で奴隷を販売するナントの商人と手を結び、その経験と技術を導入して商業実務を活性化した。さらに、西アフリカ内陸へ交易網を拡大しこれを定着させることによって、奴隷調達の安定化が実現された。著者によれば、これらの要素が相互に作用し商業ネットワークの再編成と拡大が達成されたとき、フランス・インド会社によるセネガル黒人奴隷貿易の経営の遂行が保証された。会社の特権の長期にわたる持続と貿易の成長はその明らかな結果であるという。

 もう一つ、注目すべき結論は、特権と西インド貿易との関わりの再評価である。従来、フランスにおける西インド貿易の「特権」は、ほぼ名目的なものに過ぎず、一般商人によってすぐに凌駕されるものと見られてきた。しかし、著者は、特権によるフランス・インド会社の現地西アフリカでの組織力は、一般商人にとって、その貿易を効率的に遂行するために十分魅力的なものなのであり、それは、ナントの商人の事例で実証されている、とする。セネガル貿易においては、両者は対立項ではなく「共同事業者」であるというのが著者の主張である。この点については、議論が巻き起こるであろう。しかし、「特権と西インド貿易の関わり」の再考を促したところに非常に価値があるのではないか?

 最後に気になった点は、やはり、人と人との生き生きとした貿易等のやりとり、関係がこの著書にはほとんど見られないということである。しかし、著者自身もすでにこのことを問題点の一つとしてとして挙げているので、今後この点に関する研究を著者に期待したい。また、この著作は、特にフランス史を専攻にしている方々に是非読んでいただきたいと思う。(学習院大学人文科学研究科 史学専攻 博士前期課程1年 伊藤幸博)

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『加護された領域―オスマン帝国におけるイデオロギーと権力の正統化、1876-1909』
The Well-protected Domains: Ideology and the Legitimation of Power in the Ottoman Empire, 1876-1909

セリム・デリンギル(Selim Deringil)
I. B. Tauris, London, 1997

 本書は,トルコ共和国期の外交史からオスマン帝国史へと「転向」した著者の待望のモノグラフである。出版から4年近く経過してしまったが(実際に流通し始めたのは98年1月),この本の重要性やインパクトは決して失われていないと思う。  題名のWell-Protected Domainsは,オスマン帝国を表すMemalik-i Mahrusa に由来している。この英訳が適しているかどうかはともかく,この題名は,一種の皮肉である。なぜなら,本書の扱っている時代のオスマン帝国はお世辞にも「よく守られて」いなかったからである。著者はもちろんそれを意図してこの凝った題名をつけている。当時頻繁に用いられたこのような言葉はそれ自体帝国のイデオロギーを表していたのである。

 本書は,オスマン帝国が内外からの挑戦に対して自らの正統性を強化するために適用した「微調整(fine tuning)」を扱っている。そして重要なのは,著者がオスマン帝国を世界的同時性のコンテクストの中に位置づけることを強調している点である。オスマン帝国がこの時代にたどったプロセスは,同時期の(英仏などに対して)後発の諸帝国,つまりオーストリア,ロシア,日本,プロシアなどと極めて高い類似性を持っているのである。この観点をもつことによって,著者は,アブデュルハミト二世時代のオスマン帝国に,「遅れ」や本質主義的特性を求めるようなオリエンタリズム的な見方や,何であれスルタンの唯一無二の偉大性を求めるイスラム主義的な見方を排除することに成功している。この著書はまた同時に,オスマン帝国を世界史的同時性のコンテキストに位置づけることによって,理念型的モデルに対してオスマン帝国の「近代化」の「遅れ」や「到達度」をはかるような目的論的近代化論の見方からも訣別しているのである。

 このような著者が「創られた伝統」や「想像の共同体」などの80年代以降のナショナリズムをめぐる議論の影響を受けていることは不思議ではない。これらの議論は「伝統」対「近代」といった対立図式やネーションの神話を廃し,オスマン帝国の歴史をより広い視野の中で理解可能なものにする。

 本書が扱うテーマは,国家の儀礼,紋章,「シャリーアのオスマン化」,ヤズィーディー派の改宗策,教育,ミッション活動,対外イメージ創出,万国博覧会,など多岐にわたる。これらの項目を見ただけでも,そのテーマの新しさや新しい取り上げ方から,読む者をわくわくさせる。これら具体的な問題が「正統性の危機」に直面したオスマン帝国の対応,という文脈で分析される。

 各章がそれぞれもっと掘り下げればモノグラフになるようなテーマであるため,物足りなさが残ることも確かである。実証面でもツメの甘さは見られる。また,オスマン語転写に誤りが多い(例えば,"Devlet-i ebed-i muddet"は"Devlet-i ebed-muddet"の誤り)。 実際これらのような批判もしばしば耳にしたが,ハミト期オスマン帝国史の歴史叙述を一新するパイオニア的著作としてその辺は大目に見てもよいかもしれない。

 欠点があるにせよ,本書は,オスマン帝国近代史(地方史も含む)に関心ある人の必読書である。現在はペーパーバック版が出て入手しやすくなっている。(秋葉 淳 東京大学大学院)

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『サロメ誕生』

工藤庸子著・訳
新書館、2001年

 サロメとは、聖書に現れる美少女の名で、自分が太守の前で踊ることと引き替えに洗礼者ヨハネの首を要求したことでよく知られている。本書は、19世紀後半に記されたこの「美しき首切り女」を主人公とする文学作品2点(フローベールとワイルド)の翻訳と「聖書とオリエントの地政学」と題する訳者の85頁に及ぶ解説論文という三つの部分から構成されている。元来フランス文学を専攻する工藤氏だが、その視点や学問に対する態度は、決して狭い専門分野だけに閉じこもったものではない。私は、なまじ専門を同じくする方々の仕事よりも、彼女の本から実に多くの知識を得、刺激を受けている。それが同じ著者の本をここで二度取り上げる理由である。

 「ボヴァリー夫人」をはじめとして、学生時代にフローベールの作品をいくつか手に取ったことはあったが、この作家がかくも宗教性に満ちた小品を残していたとはついぞ知らなかった。でも、そう言われれば、禁断の恋に悩むボヴァリー夫人も、やたら神に祈ったりしてずいぶん信心深い人だなと感じた昔の記憶がよみがえってきた。それはともかく、フローベールの短編小説やワイルドの戯曲には、聖書の文章や風景、オリエント世界の光景が、そこここに組み込まれている。これらはともすればそのまま読み飛ばしてしまいそうだが、訳者は詳細な注と解説で、なにげない文や言葉の後ろに隠された深い意味を次々に明るみにひき出して行く。まるでクルアーンの真の意味を語るイマームであるかのような、その鮮やかな手法と底知れぬ博識には、ただ感服あるのみである。

 革命を経て「脱宗教化」の道を歩んでいた19世紀のフランス、オリエンタリズムが一世を風靡する19世紀のフランスにおいてはじめて、このような作品が記されることが可能だったという訳者の解説は秀逸である。そもそも、ある文学作品がなぜ書かれなければならなかったかという問いを、作家個人の思考や行動からではなく、その作品の置かれた時代的背景の中で考えるという手法は、きわめて歴史学的である。「文学を歴史の文脈に解き放つという作業に、地道にとりくんでみたい」(13頁)と語る訳者の試みは、見事に成功している。ただし、「宗教は国家の宗教であることをやめたときに、はじめて非宗教の立場から自由に考究できる対象となるのかもしれない」(80頁)という独白には、イスラーム世界史を学ぶ者としてやや違和感を覚えた。「国家の宗教」という言葉自体がきわめて近代ヨーロッパ的な問題の立て方だからである。これはキリスト教世界では首肯できる議論であっても、おそらくイスラーム世界にそのままあてはめることはできないだろう。

 以下は、門外漢にはいささか難解な本書を二度通読して、印象に残った文章二点とその感想。

 1)「翻訳とは、そのテキストが誕生した磁場に身をおいて、語彙のひとつひとつが浮上しイメージを喚起するありさまに眼を奪われる経験であるといえるだろう。」(9頁)

 名言だと思う。私たちは外国語のテクストをあまりに安易に日本語に置き換えて、それでよしとしていないだろうか。テクストから得られるはずの多くの重要なメッセージが、気付かれず眠ったまま捨て去られていそうである。また、聖書の深い理解に基づいて記された解説や注を読んで、私自身に、クルアーンやハディースなど、イスラームに関する基本的知識があまりに乏しいことを再認識した。自分の怠慢を棚に上げて言い訳をすれば、これは従来の我が国の教育システムの問題でもあろう。

2)「十九世紀知識人の典型であるオリエンタリストとは、『学識』のかたまりのような人間を言うのである。」(45頁)

 これも、なるほど、という文章。学者といっても、ただ「学識」があればよい、というわけではないのだ、と妙に納得した。

 一冊読み終えると、頭の芯に軽い痺れを感じた。同時に、すぐれた書物を読んだ後の幸福感にもたっぷりと浸ることができた。色々とものを考えたい人にはおすすめの本である。(羽田正)

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『ザンジバルの笛』

富永智津子
未来社、2001年

 本書はスワヒリ史の「通史」に関して日本語で読むことのできるほぼ初めての本である。「アフリカ」、特に「サハラ以南のアフリカ」というと歴史研究の対象外であるかのように考えられがちである日本に於いて、このような本が多くの人びとの目に触れられることは大変意義のあることであるはずである。しかも本書は歴史のみに特化せずに、文化人類学的、社会学的アプローチもなされていて、いわゆる地域研究の手法による富永氏の研究姿勢が色濃く出ている。

 従来のスワヒリ史の捉え方というものは、「海」を介しての外部の影響に重点を置く歴史認識(外部起源説)、それに対するアンチテーゼとして1980年代以降に主流となっているアフリカ大陸内からの影響を強調する歴史認識(内部起源説)の2つがある。(このことはもう少し詳しく本文献短評内のChapurukha. M. Kusimba The Rise and Fall of theSwahili States [London: Altamira Press. 1999]の短評で述べている)。しかしどちらに於いてもアフリカ大陸の内か外に視線が偏っているアンバランスさは否めない。一方、本書においては内陸のアフリカと外来の勢力の出会う場所としてザンジバルを中心とした東アフリカ海岸が設定され、そこで繰り広げられる異文化同士の反発や混交の積み重ねがスワヒリ文化であるとされている。アフリカ大陸の「内」と「外」にバランス良く視線を投げかけている本書が持つバランス感覚はスワヒリ研究では非常に新しいものであるはずだ。171ページに掲載されている、当時のイギリス統治政府の作ったザンジバルの人々の写真からもわかるようにザンジバル、そしてスワヒリ世界は多種多様な人々が海を通して、陸を通して集まり、1つの場においてさまざまな物語が織り成されていったはずであり、このような内と外とのバランスの兼ね合いは今後のスワヒリ研究を志す私のようなものには非常に良い指針となるばかりでなく、スワヒリ史、あるいは歴史を取り立てて勉強しない人にもアフリカ史、スワヒリ史というものに新しい認識を作り出す大きな契機となるであろう。

 本書は大きく2部構成になっていて、第1部では「スワヒリ社会の歴史」と題されて、アラブ・ペルシア系商人の時代からスワヒリ社会の生い立ちが現代にいたるまでが述べられている。特に第2章「ウスタアラブの光芒」ではザンジバルの王女サルマ、スワヒリ商人ティップティップ、ミランボなどの幾人かのスワヒリ人に焦点を当てることでスワヒリの人々からの視点というものも描き出されていて、植民地時代のスワヒリに関して大方の読者の持つ「ただ一方的に隷属し、搾取されてきたアフリカ」という認識と対立するような歴史像が提示されることは読者には大きな衝撃と新鮮さを感じるであろう。さらにここで1つ注意を促すべきことは、スワヒリ史に関しては研究者の多くが賛成できるような明確な時代区分すらされていないのである。本書に於いては富永氏は「シラジ」「ウスタアラブ」という固有名詞を時代区分の名称に当てることで時代区分を試みている。「シラジ」時代に関しては専門的にはもう少し細分が出来ると評者は考えるが大枠としての捉え方としては賛成であり、「シラジ」という言葉はもっとスワヒリ史の中で注目されるべき語である。一方の「ウスタアラブ」に関しては評者にとって全く新しい概念であった。これらの語を用いて時代区分を明確に提示したのは本書が初めてではないだろうか。スワヒリについて学ぼうとしている評者などは、今後これらの時代区分が果たしてどこまでの妥当性を持っているのかということについても議論をしていく必要はあるだろう。スワヒリ史研究はまだそのような段階にあるのが現状なのである。

 第2部では「スワヒリ社会の女性と文化」と題されて、富永氏のフィールドワークを基礎に社会学的、文化人類学的なアプローチでスワヒリ社会の多様な顔立ちを明らかにしていく。特に第1章の「踊り・歌・成女儀礼」の章は女性しか見ることの出来ないようなスワヒリ社会のある部分を垣間見ることが出来、非常に興味深く、また新鮮であった。

 全体を通して言えば、スワヒリの人びとのアイデンティティーを解明されたことも画期的である。スワヒリ世界は歴史的に幾度かのアフリカ大陸内外からの移民によって構成されている要素が大きく、それらの人びとが混在する社会のアイデンティティーがどこにあるのかということは非常に重要な問題であるはずである。しかしながら先に述べたような「バランス感覚」を持った上でこの問題に対して明確な態度を示した研究は今までなかったように思う。また、ヨーロッパ列強による植民地支配、そこからの解放、そしてザンジバルの独立、そのような社会の激変の中で揺らぐアイデンティティーのあり方というものは、同じような歩みしてきた他の地域との比較をしてみても面白いかもしれない。

 昨年、このイスラーム地域研究5班の開催したワークショップに参加されたバンベルグ大学のDr.Bert Fragnerに評者の勉強したいスワヒリ史、インド洋の歴史についてアドヴァイスを求めた際、フラグナー氏は「ザンジバルから世界を見てみると非常に面白いと前から思っている。」とアドヴァイスをくれたことを思い出した。評者にとって本書はまさにフラグナー氏のインスピレーションの通りであることを証明してくれた。

 最後に、本書は広く読者を想定されているようであり、富永氏自身の非常に興味深い体験が写真と共にふんだんに織り込まれており、難しいはずの交易システムなども図などと共に非常に判り易く説明されている。随所に散りばめられた富永氏の長きに渡るフィールドワーク、或いは現地の人との何気ないやり取りが、1つ1つの説明、論に非常に説得力を与え、且つそれが読者にとてつもない臨場感を与えつつ、読者の興味を尽きさせない潤滑油となっている。また、スワヒリ商人ティップティップなどの個人的な伝記も含まれており、普段は1冊の本を読むのにも時間がかかってしまう評者であるが、面白くて一息で読み終えてしまい、それと共に「ザンジバルの笛」の聞こえる世界に戻りたくなってしまった。本書はぜひ広く読まれてほしい本であり、それによってスワヒリ史に対する理解、興味が増大されることを望んでいる。(鈴木英明 慶應義塾大学大学院修士課程)

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『聖者イブラーヒーム伝説』

佐藤次高
角川書店、2001年

 中東・イスラーム世界を訪れた人は、聖者の墓廟への参詣がきわめて盛んであることにすぐに気付くだろう。公式の礼拝の場所であるモスクが礼拝の時間以外は閑散としているのに対して、名高い聖者廟はいつ訪れても多くの信者で賑わっている。一体イスラーム世界の聖者って何なのだろう。イスラーム世界に興味のある人なら誰しもが抱くこの疑問に概括的に答えようとしたのが、私市正年『イスラム聖者』(講談社現代新書、1996)だが、佐藤氏の今回の書物は、8世紀に実在したイブラーヒーム・ブン・アドハムという一人の人物を取り上げ、彼にまつわる伝説がいかに形成され、彼がいかに聖者となったかを検証しようとしたものである。私市氏の本が総論だとすれば、佐藤氏の本は各論と位置づけることもできよう。著者自身もあとがきの中で、「たとえひとりではあっても、聖者の具体像を手にしえたことが私にとっては何より貴重であった」と述懐している。

 本書の中心をなす2、3章では、文献史料を重視する著者らしく、イブラーヒームについて記された史料の記事が次々と挙げられ、この人物の聖者伝説の主要部分が10-11世紀に形成されたこと、伝説が民間に行き渡る12世紀以後になってジャバラにあるその墓所への参詣が盛んとなったことが説得的に記されている。しかし、私が楽しく読んだのは、むしろ、著者がイブラーヒームの墓廟のあるジャバラを訪れ、現地の人たちといかに交わり、いかにイブラーヒームを「発見」したかを語り、その後の調査の進行状況をも記す第1章の1と2だった。そこでは、これまでの書物では取り澄ました語り手でしかなかった著者の人間性が随所に垣間見られる。イブラーヒーム・モスクで見よう見まねで金曜礼拝を行い、その感動を素直に表している著者の姿などはほほえましくていいですねえ。全体を通じて、著者が楽しんで執筆している雰囲気がよく伝わってくる。

 もっとも、出だしが快調なだけにその後の展開にはいくつかの不満が残った。それも率直に記しておこう。

 (1)ジャバラとイブラーヒームの関係がよく分からない。なぜ、彼の墓はジャバラにあるのだろう。著者ははじめからジャバラにあった墓が、イブラーヒーム伝説の広がりとともにクローズアップされ、そこへの参詣が盛んになったと考えているようだが(109頁)、それでよいのだろうか。例えば、マザーレシャリーフ(アフガニスタン)のように、後から聖者の墓が発見されることはしばしばある。イブラーヒームがシリアより東や北のイスラーム世界で信奉された聖者だとすれば、墓が位置的に偏ったジャバラにあることは、マイナスにはならなかったのだろうか。墓に関する伝承はないのだろうか。それに関連して、イブン・バットゥータも記しているというのに、イブラーヒーム信仰がエジプト以西に広がらなかった理由もよく分からない。いずれにせよ、この問題は、イスラーム世界における「地域」や「地域区分」(もちろん時代によって変化する)を考える際の一つのヒントになるように思う。

 (2)なぜ、イブラーヒームが聖者になったのかがよく分からない。著者はこの問題について151-154頁で説明を加えてはいる。しかし、「三行の伝承」から「九十頁の伝説」へとイブラーヒーム伝説が膨らんでいったのは結果にすぎないのではないか。別の場所で著者が記すように、イブラーヒームが「平凡なムスリム」だったとすれば、なぜ彼は選ばれて聖者となったのだろう。また、消えて行く聖者も多い中で、なぜ彼の伝説と墓廟は今日まで維持されているのだろう。

 (3)イスラーム世界における聖者全体の中で、イブラーヒームの占める位置がよく分からない。著者自身、この聖者を取り上げたのは偶然だったと記しているので仕方のないことかもしれないが、本書を通読しても、イブラーヒームがどんな点に特徴のある聖者なのかが分かりにくい。本書は一般読者をも対象とするのだから、イブラーヒームがイスラーム世界の聖者の代表ではない以上、その位置づけをもう少し丁寧に記すべきではなかっただろうか。

 以上、勝手なことを記したが、私は聖者や聖者伝については全くの素人であり、これは一読者の感想にすぎない。誤解、読みとり不足の点は、切にお許し願いたい。この本によって、イスラーム世界の人々にとってきわめて重要な意味を持つ聖者やその歴史に興味を持ち、研究してみようと考える人が出てくることを期待したい。(羽田正)

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『中世ムスリム世界の国家、社会、文化(10-15世紀)』
Etats, societes et cultures du monde musulman medieval: Xe-XVe siecle

Presses universitaires de France, Paris, 1995-2000

 昨年待望の2、3巻が出版され、完結した本シリーズは、前近代イスラーム世界史研 究の現状を理解し、残された課題を知るために絶好の書物であり、この分野で今後長 く参照されるべき基本文献である。本書は詳細な批判的書評の対象となるべき書物で あるが、この欄はそのような場ではないし、私もまだその用意がない。そこで、以下 では、前近代イスラーム世界史を研究対象とする方々のために簡単に内容を紹介し、 若干の感想を述べるだけにとどめたい。

 題名を付されていない第1巻は続く2つの巻への導入の意味を持ち、2、3巻での議 論の前提として、まず政治史をできるだけ詳しく叙述することを目指している。シリ ーズ全体に10世紀から15世紀という枠がはめられているため、ここで扱われる政治史 は、時間的には、10世紀から15世紀まで、空間的には、ほぼ中東・北アフリカに限ら れている。本シリーズ全体を通じて主要な著者の一人であるJean-Claude Garcinによ ると、10世紀を記述の始めとする理由の一つは、この世紀になってようやく中東でム スリムが多数を占めるようになり、徐々にムスリム社会に特徴的なシステムが見られ るようになるからだという。そこで意識されているのは、我が国では夙に有名なラピ ダスのネットワーク論である。叙述の終わりを15世紀とする理由は明記されていない 。しかし、16世紀以後のオスマン、サファヴィー、ムガルという三帝国の時代を、そ れ以前の時代とともに「中世」という語で一括りにできないという点は学界でほぼ市 民権を得ており、無理のない設定と言えよう。この時代を通じての特徴としてラピダ スが挙げる「統一帝国なしの普遍的社会」論が議論の俎上に載り、この見方の長所、 短所がさまざまな角度から検討されている。三浦徹氏必読である(読んでいたらごめ んなさい)。個人的には、定住社会とは別に、部族やその社会の果たした役割の重要 性を強調している点に共感を覚えた。

 第2巻は、「社会と文化」という副題を持ち、今日までの研究で何がどこまで明らか にされているのかを、三つの部分、すなわち、「国家と共同体」、「生産と交換」、 「生活と精神」に分けて議論する。巻頭には、内容と関連する参考文献が、分野別に 基本文献とやや特殊な文献に分けて、約90頁に亘って掲載されており、この部分だけ でも大いに利用できる。第1部では、土地と農民、遊牧と部族、都市という私たち日 本の研究者にもなじみの深いテーマが三つ掲げられ、それぞれについての研究の現状 が紹介される。この部分に関しては、私たちも十分議論に参加できそうである。実際 、佐藤次高氏のイクター制に関する英文著書や羽田・三浦編の『イスラム都市研究』 英語版は、巻頭の参考文献リストでこの章に関連する基本文献のうちの一つに数えら れている。

 しかし、例えば、第2部で議論されている土地生産性の向上、交易の慣習、貨幣学、 芸術作品の製作といった問題、第3部の宗教、哲学、文学といった側面に関しては、 我が国での研究蓄積はまだまだ浅い。当面はこれらの章から必要な知識を得て、研究 のフォローアップに励まねばならないだろう。このプロジェクトの「聖者・スーフィ ー研究会」あたりが起爆剤となって、この分野の研究が急激に進むことを期待したい 。

 第3巻は「研究の問題点と展望」と題される。政治的な領域と人々の生きる場の微妙 な相違、人口学や比較史の必要性、都市と田舎の関係、都市研究の問題点、ユダヤ教 徒やキリスト教徒などの宗教的少数派の社会的位置、など興味深いテーマが目白押し で、それぞれについて何が問題で、今後どのような研究が可能か、どのような点が明 らかにされるべきかといった点が議論されている。枠組み設定や問題の立て方、議論 の進め方も含めて、じっくりと読んで検討し、必要ならばしかるべき場所で発言しな ければならないだろう。

 ちなみに、私は「都市研究の問題点」という部分にざっと目を通してみたが、著 者Jean-Claude Garcinの議論の下敷きとして、私たち(私市正年、三浦徹、林佳世子 、羽田正、小松久男)のIslamic Urban Studiesが大いに利用されている。「都市史 研究の分野における大変有益で重要な共同研究で、日本人研究者たちの心意気 (ambition)を伝える書(98頁)」という表現はやや面はゆいが、これだけ積極的に 取り上げられ、引用されている以上、今後引き続き国際学界とつきあってゆくために も、私たちの「心意気」のその後をあらためて伝えることがぜひ必要だと感じた。 このシリーズは、あえて例えれば、私たち5人が10年前に都市研究について行ったレ ビューと問題点の提示を、イスラーム世界史全体についてさらに網羅的に行ったもの だとも言うことができよう。Garcin氏が述べているように、現在国際学界における英 語支配は決定的な段階に入っており、他の言語で記された研究はしばしば無視・黙殺 されてしまうが、フランス語で記されたこの書物が決して見逃すことのできない価値 を持っていることだけは確かである。(羽田正)

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『インドネシア燎乱』

加納啓良
文春新書、2000年

 インドネシアの情勢が大きく揺れ動いた1997年から99年にかけての3年のうち、約半 分の期間をジャカルタで過ごし、現地社会の動向をまじかで観察した著者による現代 インドネシア政治の解説と分析の書。著者は、その現地滞在中はもちろん、日本でも インターネットなどをフルに活用して常に最新の情報を仕入れ、それを日記風のメモ として毎日記録してきた。このノートをもとにした詳細な記述は、臨場感にあふれ、 迫力に満ち、読む者を飽きさせない。インドネシアに疎い一般読者を対象とする書で あるだけに、政党や個人、地名など固有名詞についての解説も的確である。絶好の現 代インドネシア政治入門書だと思う。さらに、第四章「インドネシアの過去と現在」 では、成立後50年あまりを経たこの国の持つ複雑な歴史・地理的背景が8世紀から今 世紀に至るまでわずか40頁あまりで見事に要約・説明されている。この章のために、 テンポよく進んでいた99年総選挙の描写が中断することに、若干の不満を覚えたこと は事実だが、歴史研究者のはしくれとしては、この部分にこそ著者の才能を強く感じ た。インドネシア史のおさらいにはもってこいの章である。

 このようにほとんど文句のつけようのないすばらしい書物だが、「イスラーム地域研 究」の立場からあえてないものねだりをしてみよう。現大統領グス・ドゥル(ワヒド 氏の愛称)が、いかにしてその社会的影響力を強め、ナフダトゥル・ウラマの議長と なったか、政治とは関わりを持たなかったというナフダトゥル・ウラマがなぜ突然政 治の表舞台に登場してきたのかという点が分かりにくい。革命か民主的な政権交代か という違いはあるにせよ、ウラマーが政権を握るという点だけに限れば、グス・ドゥ ルの大統領就任はイラン革命と同様の「イスラーム回帰」現象のようにも見える。イ スラーム世界研究者としては、「インドネシア燎乱」にイスラームが果たした役割、 この時期になってウラマーの社会的影響力が増しているように見える理由などへのま とまった言及があれば、この本はさらに読み応えのあるものになったに違いないと思 う。もちろん、このことをインドネシア現代経済研究を専門とする著者に求めるのは 筋違いであり、他に適当な書物を探すべきであることは承知しているが・・。

 なお、著者によると、現在の大統領の名前、アブドゥルラフマン・ワヒドのうち、ワ ヒドは父の名であり、本人の名 はアブドゥルラフマンなので、日本のメディアが言う「ワヒド大統領」は誤りで、正 しくは「アブドゥルラフマン大統領」と呼ばねばならない、とのことである。現代の アラブ世界に疎い私は、アラビア語なら、アブドゥルラフマンが美称、ワヒドが本名 で、父の名はその後に来る「イブン」の後に記されるはずなのに、さすがにインドネ シアの人の名前の付け方は面白いなと思い、その旨をこともあろうに本プロジェクト の研究リーダーやさる高名な人類学者の前でお話しした。ところが、これは前近代の 事情しか知らない私の迂闊さをさらけ出したとんでもない誤解で、彼らに大笑いされ てしまった。現代では、アラブ世界の名前もインドネシアと同様なのだという。自分 の無知を棚に上げて開き直れば、歴史学と現代研究の融合を一つの目的とする本プロ ジェクトの趣旨を活かすには、いつ頃、どういう理由で、アラブ世界の名前の変化が 起こったのか、その変化はどのような意味を持つのかといったことが、どこかで論じ られねばならないだろう。と言いながら、あるいは、そんなことはすでに皆知ってい て私が恥の上塗りをしているだけなのかもしれないのですが・・。(羽田正)

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