* 文献短評

 
 
 
『別冊環4 イスラームとは何か―「世界史」の観点から』

三木亘
藤原書店、2002年

 三木亘氏、板垣雄三氏、西谷修氏による鼎談によって始まるこの『環』の別冊誌は、イスラームをあらゆる観点からみつめた、それぞれ学術的で非常に内容の濃い論文を含んでいる。
 大阪外国語大学スワヒリ語専攻の前期講義を担当してくださった京都文教大学の日野舜也教授も、「アフリカにおけるイスラーム」と題し論文を寄せているのだが、この論文は、アフリカでなぜイスラームが受容されたかなどについて、私にとっては余すところ無く論じており、新鮮な知識を与えてくれた。
 また、西洋の著名な学者ウォーラーステインのイスラームに対する論述と、日本人の東洋学者のそれとを比較することもでき、さまざまな、リアルタイムのイスラーム観を楽しむことができる。(大阪外国語大学アラビア語専攻2年 峠潤)

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『暮らしがわかるアジア読本―アラブ』

大塚和夫
河出書房新社、1998年

表紙
 この本はアラビア語専攻の学部生である私が、アラブ関係の本で最初に購入したものである。アラブについて何も知らずに、アラビア語専攻生として入学した私にとって、この本は幅広い知識を与えてくれるとともに、アラブに対してより一層深い興味を湧かせてくれるものであった。アラブ文化の様相が初学者にも分かり易い文体で(エッセイ風に)綴られており、写真や挿絵も豊富で、本当におもしろくためになる一冊である。(大阪外国語大学アラビア語専攻2年 峠潤)

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Armenia: A Historical Atlas

Robert H. Hewsen
The University of Chicago Press, Chicago, 2001

表紙
 論文執筆の際、研究者が心掛けねばならないのは、いかにわかりやすく記すかということであろう。そして、より丁寧かつ緻密に議論を展開する際に、何よりも必要でありながら、苦心するのが図表製作ではないだろうか。評者は細かな作業を得意とはしておらず、本文が仕上がっても地図作成に苦心し、論文がなかなか仕上がらなかった経験がある。それは、評者が関心を抱くカフカス(コーカサス)が諸文明圏の周縁部に位置するために、「線引き」や地名の確認などが非常に難しいという事情もあった。当然、モデルとなる優れた歴史地図を探すことはこれまで至難の業であった。

 こうした状況の中、『アルメニア歴史アトラス』と銘打たれた大判の地図帳が刊行された。たかが地図帳、されど地図帳である。評者は、この地図帳のページをめくる度に、それが我々の思考能力を鍛えるために必要不可欠な工具であり、優れた地図作成自体が優れた研究そのものであるという事実を改めて強く認識した。

 本書はA3の大判で厚さも3センチメートル、341頁を数え、重さは3キログラムを超える大著であり、総計278点の地図が収録されている。構想から実に20年近い歳月を費やしてようやく完成したが、その過程では、マッキントッシュを買い換えたばかりに全ての地図を作り直すなど、技術的な試行錯誤も繰り返されたという。編者ヒューセンは、アメリカのジョージタウン大学でカフカス史の権威であったキリル・トゥマノフ博士に師事し、現在、ローワン大学(ニュージャージー州)教授職にある。シカゴ大学との関係も深く、本書はシカゴ大学の出版局から刊行されているが、巻頭の辞をトゥマノフ博士(1997年死去)が執筆している他、アメリカの大学でアルメニア学の教鞭をとる研究者を中心に、様々な研究分野の学者が編集委員に名前を連ねている(ティムール朝やアクコユンル研究で知られるシカゴ大学教授ジョン・ウッズの名もみえる)。

 278点の地図は、それぞれ年代順に分けられ、序(8点)、古代アルメニア(56点)、中世アルメニア(64点)、近世アルメニア(35点)、近代アルメニア(71点)、現代アルメニア(44点)の順番で掲載されている。中心はもちろん、アルメニア人の故地であるアルメニア台地と周辺のアナトリア西部、南カフカス、イラン高原であり、東・西・南・北からそれぞれこの地に渡来した様々な勢力の経路も図示され、諸勢力の歴史的興亡を一目で理解することができる。例えば、オスマン朝皇帝セリム一世の1514−1518年にかけての遠征経路と、17世紀におけるオスマンの勢力伸張が色分けされて記された地図を例にとって見よう。この129番目の地図は「オスマン朝―サファヴィー朝時代初期のアルメニア1502−1590年 (Armenia in the Early Ottoman-Safavid Period, 1502-1590)」と銘打たれているが、地図上の記号説明には次のような項目が並ぶ。現地発音のほか、()内は各都市のヨーロッパ諸語での呼び方(ラテン、スペイン、ポルトガル、ヴェネツィア、ジェノバ、カタロニア語)、()は初期(early)ロシア語での呼び方、市壁で囲まれた中核都市(都市と街)を示す記号、その他の市壁で囲まれた都市および街の記号、黒海勢力、クルド、アルメニア君侯の拠点等々。このように、様々な史料が駆使され、数多くの情報が一枚の地図の中に取り込まれているのである。さらに、主要な地図には時代背景などトピックごとに数頁にわたる解説が施されている。

 また、カフカス(コーカサス、ちなみにトゥマノフの論文にあるように本書ではThe CaucasusではなくCaucasiaで統一されている)に関する研究は、この地域内で完結することはほとんどありえない。すなわち、周辺諸地域に展開したカフカス出身者の活動を無視して、地域の歴史を考えることは不可能である。とりわけ、ユダヤ人とも並び評されるディアスポラの民アルメニア人の歴史に焦点を定めたこの地図帳では、移民活動を通じて形成された国際商業ネットワークや移民社会を取り上げた地図が数多く収録されている。中でも、中東・南アジア、東・西欧、北米におけるアルメニア人コミュニティーには多くの頁が割かれており、例えば、アメリカ合衆国とカナダ在住アルメニア人については、人口、経済状況、教会組織、協会・社団、政治団体、報道・出版、教育機関、同化といった項目がそれぞれ独立して扱われているし、北アメリカのアルメニア教会の全ての名前が、宗派ごとに記されてもいる。この地図帳を利用することで、アルメニア人が歴史的に経験してきた、現在の日本人には想像のつかない広範な「移動」の世界史とネットワークの広がりを詳細に知ることができるのである。

 もちろん、そもそも地図作成が極めて人為的な作業である以上、問題点も少なくない。序文で編者自身が述べているように、アルメニア人の移住先として歴史的に最も重要な役割を果たしたイランに関する情報が限られているのは現在のアメリカとイランの関係を反映しているのかもしれない。また、グルジア、アゼルバイジャン、北カフカスの諸民族に関しても、全ての情報が網羅され、地図上に投影されているとは言いがたい。前近代における境界は不明確な場合が多く、利用する史料によって、ばらつきがでることは致し方ないとしても、時代区分などにみられるように、ある種の保守的な姿勢が貫かれており、最新の学術成果を取り入れることに編者が特別に慎重のようにも感じられる。もっとも、こうした問題点は個別研究の深化を通じて解消されるべきであろう。充実した巻末の図書目録は、後学のために大いに役立つと考えられる。

 以上のように、優れた地図帳は百科辞典そのものであり、知の宝庫である。さらに、色とりどりの地図は本当に美しく、眺めて楽しい。諸外国の地域研究・歴史研究に関わる方には、図書館などでこの地図帳を是非一度手にしていただきたい。そして、編者による後書きを締め括る、著名なアルメニア系アメリカ人の作家ウィリアム・サローヤンの引用も一読していただきたいと思う。曰く「(家を焼かれ、土地を奪われ、砂漠に食料もなく追いやられたとしても)アルメニア人二人が世界のどこかで出会ったら、そこには新しいアルメニアが誕生するのだ」。(日本学術振興会・東洋文庫 前田弘毅)

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『イスラム再訪』(上)(下)

∨・S・ナイポール著/斎藤兆史訳
岩波書店、2001年

表紙
 周知のとおり本書は歴史や地域の研究書ではない.現代の非アラブ系イスラム諸国(インドネシア、イラン、パキスタン、マレーシア)を著者が旅して,国家の将来を与る政治家から市井の人に至るまで様々な人と会い、話を聞いた結果まとめられた紀行文である.著者自身は「人を描いた本」であり,「意見の書」デハナイトイウ.
 著者はカリブ海のトリニダード出身で,インド系の移民の三世にあたる.オックスフォード大学で英文学の学位を取得してのち,ポストコロニアル時代を代表する作家として世界的に知られ,2001年にはノーベル文学賞も受賞している現代文学の作家である.ところで評者には現代文学の視点から本短評を書く力量はない.イスラムが影響力をもつ地域に関心を抱く人間として,本書にひきつけられたことが短評を投稿する契機となった.
 序において著者は,「作家も前面に出ることはせず,質問者としての存在は希薄である」と述べている.さらには,「旅行者としての作家はたえずうしろに引っ込み,その国の人々が前面に出てくる.そして,私は出発点の私に戻る」とも述べている.
 だが本書を読んで,一族の故郷からも,また移住先においても文化を奪われた著者自身の,非アラブ系イスラム諸国における人々に対するある種の思いが前面に出ていることを強く感じた.アラブではないイスラムへの改宗者は,伝統的に保持してきた自らの文化を捨て,イスラムを育てたアラブの文化を採用していかなければならないと著者はいう.
 著者はイスラムに対してどちらかというと否定的な態度をとっている.むしろイスラムを帝国主義的だとも言及している.欧米先進国を植民地主義的,帝国主義的と糾弾する,イスラムを主張の一部とする者たちがいるが,そうした集団もまた,著者によれば帝国主義的とみなされるのである.
 例えばヒンドゥー教徒とムスリムとの対立が膠着化していた1960年代のラホールでの出来事を,インフォーマントから著者は次のように引き出している.
 「ラホールの町の群衆たちが,ただ棍棒だけを持って、不信心なヒンズー教徒たちに聖戦を挑んだのです.それは食い止める必要がありました.彼らはイスラム学者から突撃命令を受けていたのですから.面白いのは,当のイスラム学者は群衆を率いていなかったことです.彼は泰然とモスクに座っていただけなのです」.
 著者のイスラムとその学者に対する視線は冷たい.しかし決して一方的なものではない.著者は自分の言葉で以下のように分析している.
 「そのイスラム学者が信用できないということ,そしてどこから見ても倫理的な人間ではないということは,さほど重要ではない.彼は指導者を自任したわけではないのである.彼のイスラム学者としての職務は,改宗した人たちを励まし続けることであり,鼓舞の必要がある場合には,その脳裏に地獄と天国を描いてみせ,その時が来ればアラーのみがすべてを裁くと言えばいいのである」.
 研究書ではないゆえに,著者のこうした見解や分析が必ずしも客観性に基づいているとはいえないことは十分承知している.だからこそ,アイデンティティの一つのよりどころとなる伝統文化を喪失した著者の目からは,新改宗者に対してイスラムは帝国主義的だという判断が引き出される.前面に押し出されたこうした著者の主観的立場こそ,地域研究の視点から本書に対して関心が引かれたのである.
 現在でもイスラムが拡大しつづける四カ国について,著者の提示するこうした現状を研究者としてどう説明するか,是非とも一読をお勧めしたい一書である.

原著 V. S. Naipaul, Beyond Belief: Islamic Excursions among the Converted Peoples, London: Little, Brown and Company, 1998.

主な書評・対談等
Akash Kapur, "One Little Indian, V. S. Naipaul and the new South Asian Politics," Transition 0-78 (1998): 46-63.
富山太佳夫(毎日新聞朝刊 2001年6月10日11面)
山内昌之(日経新聞朝刊 2001年3月4日)
三浦雅士「現代作家の姿勢」『大航海』1998年2月号

(慶應義塾大学文学研究科後期博士過程 阿久津正幸)

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『ムスリムのヨーロッパ発見』(上)(下)

バーナード・ルイス著/尾高晋己訳
春風社、2000−2001年

 著名な中東史家バーナード・ルイスの手による著書は以前より何冊か邦訳されている。本書の下巻とほぼ同時期の2001年8月にも『イスラーム世界の二千年』(白須英子訳、草思社)が新たに翻訳、出版された。イスラームの歴史、文化、政治などについて、読みやすく、またわかりやすくまとめられたこの『イスラーム世界の二千年』は、「イスラーム入門書」として適切なものであろう。また実際に、その出版直後に発生した同時多発テロによって各書店に設けられた、いわゆる「イスラームコーナー」の一角にも置かれていたように記憶している。それに対し、本書『ムスリムのヨーロッパ発見』は、膨大な原註に加え緻密な訳註が附された本格的な研究書である。
 本書の原書は訳者の尾高晋己氏が「はじめに」で述べられているように、既に欧米の学術雑誌の書評において高い評価を受けている。その価値は、何よりもまず「ムスリムからみたヨーロッパとの歴史」という目線を幅広い年代にわたり、かつ詳細に示したことにあるだろう。考えてみればコロンブスの「新大陸発見」が「地理上の発見」に置き換えられて久しい現在、ヨーロッパとムスリムにも同様の視点の変化がもっと具体的に示されてもよかったはずである。しかし実際には、「最初にコロンブスを発見した新大陸の住民は誰か?」というジョークに対応する以上の、ムスリムとヨーロッパの関係についての書物はなかなか現れてこなかったのではないだろうか?
 本書の内容はムスリムの世界観から経済、科学技術、社会と個人など多彩であるが、テーマによってかなり長短のばらつきがみられる。評者にとっては「仲介者」すなわち旅行者や使節について多くの情報が詰められているのが嬉しかったのであるが、「科学と技術」の章なども、また違った側面からヨーロッパとムスリムの関係を見直すもので、意外な事実を知ることが出来たりと面白いものであった。しかし残念なことに、本書は全体的に日本語として少々読みづらい文章からなっており、さらに正確な意味をとることが困難ではないかと思われる個所もいくつか見受けられた。また、「クリステンダム」と「ヨーロッパ」というタームの使用上の区別があまり明確ではなかったことが、それについて少なからぬ関心を抱く評者にとっては残念であった。近代ヨーロッパの形成にイスラーム世界、とりわけオスマン帝国の果たした役割は大きい。その重要な転機であろう17世紀末に、ヨーロッパ人たちはイスタンブルに派遣された使節たちへ送る文書において、自らの呼称を「クリステンダム」から「ヨーロッパ」へと次第に変化させ始める。それがその後どのように定着し、またイスラーム側のとらえ方はどのように変化していったのだろうか? 今、評者にそれを語る力量はないが、ヨーロッパ史の立場からも非常に興味深い問題であろう。 (北海道大学大学院文学研究科修士課程 宮腰祥子)

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『アラビア文字を書いてみよう 読んでみよう』

本田孝一、師岡カリーマ・エルサムニー著
白水社、1999年

表紙
 ちょっとしたきっかけで本書を手に取ることになりました評者は、現在カイロ留学中、つまりアラビア文字の氾濫する世界に身を置いています。目にする看板・広告・掲示・・・、当たり前なのですが、どれもこれもアラビア文字で書かれています。ローマ字表記もあるにはありますが、外国企業の名称もアラビア文字に変換して表している方が目立ちます。
 ではそのアラビア文字表記の看板等が全て読めるかというと、これがなかなか難しいのです。というのも、様々な書体あり、また一つの書体でも前後に来る文字によって形が異なって来る場合ありで、一目見ただけでは「ん?これは何と読むのか?」と思ってしまうことがしばしば。特に、カイロ市内中を走っているバスの行き先を読み取るのに四苦八苦しています。
 そうこうしている内に、ある方の紹介でアラビア書道の教室に通うことになったのですが、そこで様々な書体の書き方について手ほどきを受けるようになり、徐々にその規則性を把握できるようになってきました。
 しかし、いかんせんアラビア語での授業で、まだまだ在カイロ2ヶ月弱の評者にはまったく理解できません。そこで日本語で書かれたアラビア文字に関する書籍はないかと探していましたところ、この本に出くわしたわけです。文字の書き方、葦ペンの運び、そもそも葦ペンはどうやって削るのか?そんな疑問に答えてくれるのかと思ってページをめくってみましたが、残念。そこまで専門的ではありませんでした。
 この手の書籍は初心者向けが多く、本書もやはりそうでした。三章立ての本書の第一章は、アラビア文字そのものの読み方・書き方・文字同士のつなげ方、アラビア数字の書き方・読み方などが解説してありますが、評者にはまったくもの足りませんでした。
 第二章になると、少し専門的になります。ここでは手書き文字とされるルクア体(カイロでは「リカー」と言われていますが、同じものです。)の書き方・つなげ方が紹介されており、これはなかなか役に立ちました。カイロのバスに書かれている行き先表示もルクア体で書かれていますので、この書体を知っていれば行動範囲がかなり広がります。その他、ナスフ体、ディーワーニー体、ファールスィー(ナスターリーク)体、スルス体などの代表的な書体が紹介されていましたが、例示に留まり、その点では不満が残りました。
 第三章は、カイロ市内の様々な看板・掲示の写真を見せながら、アラビア文字を読んでみるという、ちょっとした観光ガイドのような体裁になっており、評者が上で書いた状況もよくお分かりかと思われます。 アラビア書道の専門書が読みたかった評者には甚だ不満が残りましたが、少しアラビア語を知っていれば、本書を片手にカイロ市内を歩いてみると、結構面白いかと思います。ルクア体の看板もたくさんありますので。
 ついでに最近見つけたルクア体についての本の書誌情報も載せておきますので、興味のある方は探してみてください。
 T.F.Mitchell, Writing Arabic : A Practical Introduction to the Ruq`ahScript, Oxford, 1953.出版年が1953年となっていますが、評者の手許にはそのリプリント・ペーパーバック版があり、出版年の記載がありません。が、最近出たことは間違いないと思います。 (東京大学大学院人文社会系研究科博士課程 橋爪烈)

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『アフガニスタンの歴史―旧石器時代から現在まで』

マーティン・ユアンズ著/金子民雄監修/
柳沢圭子、海輪由香子、長尾絵衣子、家本清美訳
明石書店、2002年

表紙
 現在、アメリカによるイラク攻撃問題が話題になっている。先日、某公共放送で、イラク問題を深夜放送していた。評者も「ついつい」見てしまった。しかし、ふと思い起こせば、去年の今頃はアフガン問題で持ちきりだったはずである。一年で世界の注目する問題はなんとも変化する。しかし、いずれも、イスラーム世界とアメリカとの関係の中で、話題が推移していることは当世の特性を映し出しているようにも思われる。次第に関心は薄まっていることを感じつつも、アフガン問題が国際社会の重大問題であるのに変わりない。復興支援、女性の地位向上、地雷撤去、部族問題解消、麻薬撲滅、過激派の活動取り締まり、政府要人を狙ったテロ活動の阻止。難問が山積みである。
 確かに、昨年のテロ事件以降、アフガニスタンへの関心は日本も含めて少なからず高まった。こうした中、様々なアフガン関連の書籍が書店の棚をにぎわしているものの(過去形でないことを祈る)、ブームに便乗した表層的なものが多いのは否めない。アフガニスタンの現状を正確に理解するためにも、基準となるべき最新の通史的概説書が必要となる。
 このような期待にこたえてくれるのが『アフガニスタンの歴史−旧石器時代から現在まで−』。本書はMartin Ewans著Afghanistan A New History (Surrey, 2001)の、日本語版だけの改訂・書き下ろしを加えた全訳である(原著は九月の同時多発テロ事件以前に出版された)。本訳書の解説によれば、著者のマーティン・ユアンズ卿はケンブリッジ大を卒業後、英国外務省に入省し、アフガニスタン、パキスタン、インドなどに勤務し、本書に関連する地域に豊富な現地体験を持つ。
 第一章は古代から十六世紀、ムガル朝成立期までの現在のアフガニスタンに当たる地域の歴史。第二章においては、アフガン勢力のインド・イランの王朝からの自立と、現在のアフガニスタンの基となったドゥッラーニー朝の形成過程について。第三章から第九章で、サドザイ朝からムハンマドザイ朝への政権交代後本格化する英露のグレート・ゲーム下、アフガニスタンが両勢力と対抗しつつ、国家としての体裁を整え、一進一退ながらも近代化を進めた状況が詳述される。主に英国の外交文書、調査報告を用いた、優れた記述である。第十章から十三章には、第二次世界大戦のアフガニスタンへの影響とその後の新秩序の許で混迷するアフガニスタンが描かれ、ソ連のアフガン侵攻の背景事情が解き明かされる。第十四章から二十章に、ソ連のアフガン侵攻とその後の内戦、ターリバーン台頭とその政権下での「抑圧」が解説され(第二十章は原著から書き改められている)、最後の二章は、著者による書き下ろしで、テロ事件後、現在までのアフガニスタンの状況を概観する。
 以上、内容を簡潔に述べてみたが、英国を中心とした欧米の外交文書を有効に用い、アフガニスタンと諸外国との様々な関係・駆け引きが分かりやすく叙述されていることは注目に値する。ただの現状分析に留まらない、歴史的背景をふまえた上での解説は説得力を持つ。一方で、ダリー語(ペルシヤ語)、パシュトー語など、現地語が全く用いられていないのは残念であるが、現在の状況を考えると仕方ないかもしれない。これを改善していくことが今後の研究者のつとめである。そのためにも、アフガニスタンの早期復興を願わずにいられない。
 末尾にある各章ごとの基本文献目録はさらなる研究に有益である。しかし、若干問題点もある。訳注における単純な誤りをはじめ、表記の不一致、誤りである。これは監修者も述べているように、アフガニスタンには多数の言語が入り交じり、人名・地名の日本語表記に困難が伴うのというのは確かだが、本書は余りにそれが目立つ。同じ人物にも拘わらず、章ごと表記が一定していないこと、全般的に表記に法則性がないことなど、改善すべき点も数多くある。評者の個人的な意見としては、アフガニスタンの共通語はダリー語であるから、それにしたがって日本語表記をすべきであったと思う。しかしそれらは本書の意義を失わせるものではなく、本書が今後、日本に於けるアフガニスタン史研究の土台となることは間違いない。さらに、英語の原著は75ドル(現在の為替で9300円ほどか)。ここで取り上げた邦訳は4800円。約半額であり、断然お得。副題を見ると、「旧石器時代から現代まで」。旧石器時代に、アフガニスタンなんて地域概念があったのか?などと、首を傾げる人もいるかも知れない。しかし、難しいことを云わずに、是非一度手に取っていただきたい一冊である。(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程 阿部尚史)

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『イスラームとモダニティ―現代イランの諸相』

中西久枝
風媒社、2002年

表紙
 本書は、「現代イランの政治と社会、イスラーム世界のジェンダー問題」(著者紹介より)を専門とする中西氏の2冊目の単行本で、この3年ほどの間に発表された文章に加筆訂正が加えられた六つの章と、書き下ろしの三つの章からなる。
 アフガーニーの思想を扱う第一章、1953年のモルダード二十八日クーデタ(イラン・クーデタ)を米英の動きに重点をおいて分析した第二章を除き、残りの章は全て、イスラーム革命以降のイラン政治とイラン社会を様々な角度から論じたものである。その際の構想の特徴は、イランの統治機構や社会のあり方を、民主主義、市民社会、人権、フェミニズムといった「西洋の学問的枠組みでよく用いられる諸概念に照らしあわせて」論じようとしていることであろう。
 個々の章における議論の成否は評者のような専門外の人間にはなかなか判断できるものではないが、ところどころに「そういう解釈もありうるのか!」という説が埋め込まれていてアクセントになっている。諸章のなかではやはり、「イスラームとフェミニズム」、「イスラームとヴェール―再考―」という題をもった第7章と第8章がより強い印象を残した。
 残念なのは誤植の多さである。そればかりでなく、主語が重複している文章なども少なくなく、読みにくさを感じた。
 しかし、イランはこれからどのような方向に進んでいくのであろうか。専門家である著者が(謙遜からではあろうが)「ヴェールの向こう側のことは、筆者のような第三者にはわからない」、「どういう方向に進もうとも、イランはイランである」というのだから評者に何が分かるはずもないが、やはり関心が尽きない問題である。(北海道大学文学研究科 森本一夫)

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『フェルハドとシリン』

ナーズム・ヒクメット著/石井啓一郎訳
慧文社、2002年

表紙
「妹御が死なぬための条件じゃ。そなたの美貌を差し出すのじゃ。」

女王メフメネ・バヌが、瀕死の妹シリンを助けるために自分の「顔」を与える場面から、物語は始まる。本書は20世紀初頭、オスマン・トルコ帝国領サロニカに生まれたナーズム・ヒクメット(1902-63)による戯曲作品、Ferhad ile Sirinの全訳である。題名から見ても察しがつくように、本作品はニザーミーの『ホスローとシーリーン』(平凡社東洋文庫に岡田恵美子氏による邦訳がある)によって有名になったペルシアの伝説、ファルハードとシーリーンの物語を土台としている。しかし、舞台設定、登場人物、展開など、どれをとっても、ニザーミーの作品とは大きく異なる。姉の美貌の力のおかげで妹の生命が甦る。美しい顔を持った妹シリン。彼女を助けるために顔は枯れ果ててしまったが、異教の神像のように美しい身体と「権力」を持ち続ける姉メフメネ・バヌ。このふたりは共に絵師のフェルハドに恋をする。

イスラーム世界の文学の邦訳は近年増えてきたとはいうものの、まだまだ少なく、とくに戯曲は片手で数えられるほどしか訳出されていない。近代トルコの戯曲の一つとして、イスラーム文学の新たな一冊として、本書が美しい表紙絵とともに日本で紹介されることは、それ自体大変意義深いことである。しかし、本書は決して単なるファンタジーや古い伝説の焼き直しに終始するものではないことも、強調しておきたい。普遍的な人間性の葛藤やスーフィズムに繋がる「愛」の表現、ファルハードの伝説がヒクメットによってどのように変えられ、どのようなメッセージが込められたのか。いろいろな見方ができると思うが、ここではとくに評者の関心をひいた二つの点について触れておきたい。

ひとつは、冒頭に書いたあらすじからもわかるように、「顔」というものが本書のキーワードとなっている点である。ヴェールに包まれ、深い闇をたたえたメフメネ・バヌの顔、絵師フェルハドをして「人の顔とは絵よりも美しかったのだ」と言わせたシリンの顔、そして、皆が遠くの地から目指すものは「フェルハドさまのお顔」である。「忘れるのとは違う。これだけ強いているのに、できないんだ。浮かばない…僕の頭の中にシリンの顔は白く輝く光として在る。」フェルハドの意識の中でシリンの存在の記憶は「顔」に凝縮されていく。この作品の中に描かれている「顔」の氾濫する世界は、「東も西もアッラーのもの。それゆえに、汝らいずこに顔を向けようとも、必ずそこにアッラーの御顔がある」(2:109)という章句を持つ、クルアーンの世界に重なるようである。「その日、はればれと輝いて、嬉しげにうち笑う顔、また顔。かと思えば、埃にまみれ、黒々と影に隠れた顔また顔」(80:38-41)。クルアーンの中で人間たちの個は、「顔」という言葉を使って表現される。「顔」に人格が集中し、「顔」に意思が宿る。本書を読みながら、イスラーム特有の「顔」観、身体観というものがあるのではないか、という疑問に再び捉えられた。メフメネ・バヌの美しい身体も、その権力もフェルハドの目にはまったく入らない。彼が向かうのはシリンの美しい「顔」のみである。そして、この「顔」観・身体観というものは、訳者の石井氏も後書きで指摘しておられるように、ムスリム女性の顔の秘匿、ヴェールの問題を考える際にも重要なヒントとなるであろう。

もうひとつは、本書が現代人(とくに研究者諸氏)の心を捉えて離さない、「心のアルバム」的な価値を持っているという点である。石井氏の注と後書きによると、革命主義的思想の持ち主として知られるヒクメットの人生は、投獄と釈放の繰り返しであったという。1936年に結婚した妻ピライェとの幸福を味わう間もなく、2年後の38年に彼は逮捕され、懲役20年の判決を受ける。そこで入れられたブルサの獄中で、彼は本作品を執筆した。…10年経ってもフェルハドの使命は終わらない。そのうちに愛する人の「顔」が記憶から薄れていく。「忘れるのではない、浮かばないだけ。」そして再会のとき、シリンの顔を指で確かめながら、フェルハドは彼女の額の真ん中に一本の皺を見つける。愛を語る台詞のひとつひとつや、そのト書きに表れる行為のひとつひとつが、説得力をもって読者の記憶の琴線を揺さぶるのは、それが真実から発されたものだからであろう。使命と愛との葛藤、そしてフェルハドが選んだ結末…。留学や就職のために遠距離恋愛を強いられることが多いのが、研究者の世界である。大切なひとに辿りつくことができた人に、あるいは失うことになってしまった人に、そして、今まさに「顔」を触る日を夢見ている人に、フェルハドが打ち続ける槌矛の音はどのように響くのであろうか。(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究博士課程 後藤絵美)

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『不思議の国サウジアラビア―パラドクス・パラダイス』

竹下節子
文藝春秋社、2001年(
文春新書184)

三年前、ドバイの空港の硬いイスでトランジット待ちをしていると、全身黒尽 くめの女性が二人、私(評者)の前に座った。顔には薄手の長いヴェールを垂ら し、どこに目や口があるかもわからない。初めての光景に私がぎょっとして固 まっていると、そのうちの一人が空港の売店の包みを開け、ハンバーガーを取り 出した。どうやって食べるんだろう。もしかして、顔を見ることができるかもし れない、と私は身を乗り出した…。

二大聖地メッカとメディナを抱えるサウジアラビアは、イスラムに興味を持つ 非ムスリム研究者にとって、もっとも気になる「秘境」であろう。留学はもちろ ん、観光のために入国することもできない。国全体がまさに「ヴェール」に覆わ れた感じである。書店で本書を見かけた瞬間、私はドバイの空港のとき同様、サ ウジアラビアの「顔」を見ることができるかもしれない、と期待に胸を躍らせ た。著者の竹下氏が女性で、東大比較文学出身の研究者、また、さる著名なイス ラム思想研究者の妹御であるというのも、期待をさらに助長させた。 著者はこの「秘境」の国に潜入し、その好奇心と情熱とによって、おそらくご く短期間の間に、さまざまな話を聞き、多くの経験をした。それらを個人的な体 験に留めず、サウジアラビアという国について、あるいはもっとグローバルな問 題について考える材料とし、「禁忌と自由」「伝統と現代」「ナショナリズムと 多様性」「男と女」「過去と未来」というサウジアラビアに内在する五つの「パ ラドクス(逆説)」に分類し、論じたのが本書である。この中では、現代の法や 政治、男女の問題、宗教などがまんべんなく扱われており、本書を一読すること によって、現代サウジアラビアの全体像をおおまかにつかむことができる。ま た、サウジアラビアの歴史や、将来的に生まれるであろう問題、日本、サウジア ラビア、フランスという三国の比較文化論的視点も含まれており、滞在記をはる かに越えた深い内容となっている。

…さて、ドバイの空港での話に戻ろう。包みを開けた女性は、片手にハンバー ガーを持ち、もう一方の手で顔の前に垂れたヴェールを少し持ち上げ、その下で ハンバーガーを食べ始めた。顔はおろか、口の端さえ見ることはできなかった。 私はやや落胆した。しかし、ヴェールで顔を覆った女性が、こうした状況でどう やって食事をするか知ったことに満足感を覚えた。

本書も然り、である。著者のサウジ体験は主に、フランス人コミュニティーを 通したもので、「外」から「見た」ものである。本書を読んだ後も、サウジアラ ビアは黒いヴェールに覆われたままである。その「顔」を完全に見ることはでき ない。だから題名も「不思議の国サウジアラビア」なのかもしれない。終章に書 かれた「私のサウジアラビア物語はまだ終わらない」という著者の言葉に今後も 期待したい。(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究博士課程 後藤絵美)

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