戦争が開始された。この戦争は非合法かつ不正義で、目的の不透明な戦争である。この戦争が中東地域への米国のコントロールを拡大するためのものであるということは今やアラブ人の想像する「陰謀説」ではない。米国の政策担当者たちがそう明言しているのである。ここ数年の、特に最近三年間のイラクを巡る問題を追っている人々にはすでに明白なこの点についてここであらためて議論するつもりはない。

日本中東学会会長加藤博氏の文章を拝読した。非常に興味深い。現在の諸変化、特に米軍といくつかの同盟国によるイラク侵攻について、日本の中東研究者が深く関心を示している点を強調している。私が述べたい点は次の二点である。これらの点について、日本人の同僚研究者たちと議論できることを期待したい。

 まず、中東研究者たちの責任の問題である。多くの中東研究者が、政府やその他の研究機関に対して報告書を書き、フィールドワークを実施し、助言を与えている。しかし、研究者としてのバランスを維持するためには、問題があらゆる人々の関心をひき、懸念するイシューである場合は、そのような報告書などの読者対象外となる「大衆」に対しても、意見を発表し、行動を起こし、アピールや一種の警告を行うべきではないだろうか。特に「大衆」が、マスメディアがいわゆる「情報操作」などの影響を大きくこうむる可能性が高い場合はそうであろう。

 知識人が政府を擁護したいとき「日本政府の権益」ではなく「日本の国益」という。中東の怒りを描写したいとき「中東諸国の国民のブッシュ政権の右翼的政策集団に対する怒り」ではなく「イスラム教徒のアメリカ嫌悪」となる。ところが「バグダッドへのアメリカ軍の攻撃」を正当化したいときは「イラク政府への攻撃」であるという。イラクに対する日本の政策を批判する場合、それはあくまで与党に対する批判である。「日本」、「日本人」や「日本という国家」に対する批判ではない。同様のことが「米国」「イラク」「中東諸国」についてもいえる。私は研究者諸氏に諸概念の混同について講義などする必要はないことは心得ているが、特に「情報操作」の可能性が高いとき、公に対して意見を述べ、行動を起こし、必要ならば警告を発することは、研究者が研究者であるために不可欠であることを強調しておきたい。これは「研究者」と「官僚」を画する重要な一線だからである。

 第二に、加藤氏は、9・11以降中東地域が「周縁的な」問題となりつつあることを強調しているが、実態は逆ではないだろうか。イラクは「だし」ではなく、世界政治に変化をもたらす一種の「カタライザー(触媒)」である。イラク問題を中東問題としてみるのではなく、より包括的な情況のなかで理解する必要があろう。日本においてイラク問題は日本のエネルギーのアジェンダや日米同盟と切り離して考えることはあまり意味があるとはいえないだろう。日米同盟は、残念ながら、日本では一種のタブーであり、「自分の専門ではないから」という理由で、議論が避けられる傾向にある。これは「自分の専門」ではないどころか、市民として大いに関係のある問題である。今、最も危険なのは、現在イラクで起こっていることや中東に関する米国のアジェンダが、「北朝鮮の脅威」に関する日本の公式見解に結びついていることである。日本政府は、北朝鮮の脅威に対峙するために米国の支持・支援が必要であるという理由で、イラクに対する米国の政策を支持している。これは道義的基準を欠き、短期的観測に基づいたプラグマティックな見解であるといわざるを得ない。

 次の質問で、この短い文章を終えたい。侵略者やその支援者の政策を一方で支持しつつ、他方で侵略者によって傷を負った人々の治療にあたるような政策を、日本政府は今後10年間続けることができるのだろうか。