全世界に衝撃を与えたニューヨーク同時テロ事件の容疑者はオサマ・ビンラーディンに特定された。ビンラーディンは犯行を否定しているが、仮に犯人だとすれば、何故無差別殺戮を平然と行なうまでアメリカを憎むのかが疑問として残る。ハイジャックした旅客機の乗客を道連れに自爆するという、常軌を逸した発想はどこから来るのか。むろん、一般の人々を巻き込む無差別テロはイスラムのジハードからだけでは説明できない。なぜなら、イスラムでは、婦女子を含む無辜の民を殺害することは許されていないからである。

 ビンラーディンがアメリカを憎悪する理由の一端は「新十字軍」という考え方のなかに現れている。一一世紀から一三世紀にかけて十字軍が聖地エルサレム奪還の名目でイスラム世界に軍隊を派遣し、エルサレムを一二世紀に一世紀近くにわたって占領した。エルサレムをムスリム(イスラム教徒)の手に取り戻したのはサラディンであった。ところが、現在、エルサレムはイスラエルの占領下にあるために、アメリカとアメリカに軍事的に支えられているイスラエルを「新十字軍」とその同盟者と見なされ、ジハードの対象となっている。このような呼びかけはアラブ・ムスリムの琴線に触れているといえる。

 イスラムの聖地はメッカおよびメディナ、そしてエルサレムである。メッカ、メディナの聖地に関してビンラーディンが怒りを露わにしたのが湾岸戦争の時だった。本来は聖地の守護者でなければならないサウジアラビアがあろうことか同胞イラクからの攻撃に備えるために米軍駐留を許可し、米軍基地から米軍機がイラクを攻撃することを容認したからであった。ビンラーディンはサウード王家に対して意見書を提出したが、結局サウジ国籍を剥奪され、まずスーダンへ、そしてアフガニスタンへの亡命を余儀なくされた。ビンラーディンは一九九八年「ユダヤ教徒・十字軍に対するイスラム世界戦線」を結成して発表したファトワ(宗教裁定)でアメリカに対するジハードを呼びかけた。ファトワの根拠となったのが、第一に米軍がイスラムの聖地メッカ、メディナを擁するサウジアラビアに駐留している、第二に米軍はサウジアラビアを拠点として同胞イラクを攻撃している、第三にアメリカはユダヤ人国家イスラエルを支援しているために、エルサレム占領を直視していない、という三つの事実だった。その上で、軍人、民間人を問わずアメリカ人とその同盟者を殺害することがイスラム教徒個々人の義務であると宣言したのである。

 何よりもビンラーディンにとって許し難かったことは、米軍やイスラエル軍の空爆によってイラク、ボスニア、パレスチナ、レバノンなどの無実のムスリムが無差別に殺されても、国際社会は一部を除いて米軍の殺戮行為を黙認していたことにあった。ムスリムは米軍から見れば虫けら同然だという怒りを「アメリカへのジハード」の中で記している。ビンラーディンにとって今回のニューヨークの無差別殺戮はその復讐ということになる。

 ジハードで殉教したものは天国(ジャンナ)に行くことができる、とコーランには記されている。しかし、この場合、ジハードとは「聖戦」の意味ではなく、「アッラーのために努力する」という意味である。もちろん、ジハードにおける戦闘は最終的手段として認められてはいるが、まずはムスリム個人ができることをやるという解釈が一般的である。「聖戦」という訳語は「片手にコーラン、片手に剣」というヨーロッパ・キリスト教社会のイスラムへの偏見をあらわしたものだというのが多くのイスラム研究者が指摘するところである。今回のテロ事件は復讐であっても決して許されるものではない。だが、アメリカ人にとってムスリムは虫けらだという叫びには耳を傾ける必要がある。日本を含む欧米のイスラムへの偏見がこの事件を機に増幅されることが決してあってはならない。