ニューヨークで惨劇が起こった。容疑者と目されているのがサウジアラビア出身のオサマ・ビン・ラーディンであるが、彼は犯行を否定する声明を出している。振り返ると、一九七九年のソ連のアフガニスタン侵攻と九一年の湾岸戦争がテロリストを育てたといえる。彼はムスリム義勇兵としてアフガニスタンに赴き、「アフガン・アラブ」と呼ばれる反共イスラム国際ネットワークを形成した。米CIAは対ソ戦略の観点からパキスタンを通じてイスラム勢力に資金援助を行っていたが、冷戦終焉後、タリバーンとともに「アフガン・アラブ」に無用の長物の烙印をおした。結局、ビン・ラーディンは湾岸戦争を機に米国へのジハードを唱えるムスリム・テロリストへと変貌していった。

 連続テロ事件の背景にはパレスチナ・イスラエル紛争が見え隠れする。一九九〇年九月二八日に勃発したアル・アクサー・インティファーダ以降、クリントン米大統領の仲介による中東和平プロセスが事実上、崩壊してしまったからだ。アリエル・シャロン・イスラエル現首相がエルサレムにあるイスラム教の聖地のアル・アクサー・モスク(アラビア語で「遠隔の礼拝堂」)を突然訪問したことがすべての始まりだった。シャロンは二〇〇一年二月の首相就任以来、パレスチナのイスラム主義者による一連のテロ活動に対して軍事力で徹底的に報復したうえに、テロに関与するパレスチナ人指導者を暗殺するという強硬手段をとった。ところが、ブッシュ米共和党政権はシャロン首相の暴走に具体的な手だてを講じなかった。米国は唯一の超大国として中東紛争の調停者の役割を放棄して、シャロンの暴力を黙認してイスラエルを支持しているように世界のムスリムには映った。

 領土を排他的に囲みこむ国民国家の成立以降、誰がパレスチナを領有するかをめぐって聖地エルサレムの紛争は世界大に拡大する危険性を秘めていた。エルサレムはユダヤ教、キリスト教、そしてイスラムというセム的一神教の共通の聖地だからだ。イスラムにとってエルサレムが重要なのは、預言者ムハンマドが夢枕で、メッカからエルサレムまで夜の旅をし、アル・アクサー・モスクに降りて、岩のドームから伸びた階段を上って天使ジブリール(ガブリエル)に連れられて昇天したというハディース(預言者の言行録)に基づいている。ムスリムにとってエルサレムはメッカ・メディナとともに聖地である。

 米国に軍事的に支援されたイスラエルが聖地エルサレムを占領している事態は、かつて十字軍が聖地を蹂躙したのと同じだ、とビン・ラーディンは考えた。したがって、イスラエル=アメリカはユダヤ=キリスト教徒によるイスラムへの新たな十字軍だと考えた。エルサレム解放のためにジハードを敢行することはすべてのムスリムの義務である。しかし、欧米でのジハード理解とは異なり、ジハードは武装闘争だけを意味しているのではなく、ムスリムとしてできることをやるという解釈を多くのイスラム指導者はとっている。

 サウジアラビアは湾岸戦争時、イラクの攻撃から自国を守るために米軍の駐留を許可した。ビン・ラーディンはエルサレムばかりでなく、メッカ、メディナの聖地をも米国によって蹂躙された、と判断した。その結果、米国へのジハード宣言が行なわれて、一九九八年にケニアとタンザニアの米大使館爆破事件が起こった。アメリカは即座にアフガニスタンとスーダンに巡航ミサイルを撃ち込んだ。以後、テロとその報復の応酬が続き、その連鎖を誰も止めることができなかった。今回ついに、史上例をみない凄惨な無差別テロが起こった。もちろん、イスラムでは無辜の人々の殺害はジハードとはみなされない。しかし、米国では「イスラム=テロ」という誤解が広まり米国のムスリムへの嫌がらせが起きている。多民族・多宗教の米国は身内に「敵」を作り出して民主主義を犠牲しているのだろうか。