まず米国がシリアへの空爆を行うべきかどうかという問題については、私自身は判断するに足る充分な材料を持たない。それゆえこの問題にYesかNoか投票せよと言われたら、現時点では棄権ないし白票を投じるしかない。
 我ながらまったく煮え切らない判断であり、その点を批判されれば甘んじて受ける以外にはない。もちろん「全ての戦争に反対する」という立場からはシリア空爆に反対するという態度もあり得るが、その場合は2011年春以来のシリアの凄惨な現状を黙認してきたことについて批判を受けなければならないだろう。また米国との同盟関係を重視する立場から日本としてオバマ大統領の政策を支持すべきという意見もあり得るが、米国内でも議会の承認は得られていない段階である。
 だがその上で、私はオバマ大統領が2011年5月にパキスタン領内で行ったオサマ・ビンラーディン殺害計画とのあまりに著しい対応の違いに着目している。あの時は米国の海軍特殊部隊が完全な秘密裏に計画を遂行し、ビンラーディンの殺害という戦術的な局面では成功をおさめたといえるが、アフガニスタン・パキスタンにおけるその後の軍事的な展開は2014年末の撤退に向けて決して好転してはいない。
 それに対して今回は、オバマ大統領は「シリアへの攻撃を決意した」と表明していながら、手続き上必要とはいえない米国議会での承認を求め、またG20の席上でも攻撃に反対するロシアのプーチン大統領と接触している。この一連の交渉ないし説得でオバマ大統領は「窮地に追い込まれている」とメディアは書き立てているが、果たしてそうなのか。
 ここから先は私自身の予見になるが、オバマ大統領は少なくとも心情的にはシリアへの空爆をしたくないと現在でも思っているのではないか。だがその上で、シリアの悲惨な内戦状態について国際社会がまるで冷戦構造の残滓を引きずったようなかたちで分裂しつつ遠巻きにしている現状を何とか動かしていくためには、自ら「軍事攻撃への決意」を掲げてシリア問題に関する国際的な議論を惹起する以外にない。
 オバマ大統領がこう考えたとすれば、現状では少なくとも国際社会の目がシリアに集中しているという意味において、シリア問題のより穏便な解決に向けての第一歩が準備される(最後の?)チャンスであるという見方も可能であろう。シリア問題は周辺国の対立する利害があまりに深く関わっており解決は不可能という議論がある。だがそのために市民の日常生活がいとも簡単に圧殺される現状を、国際社会の一員として黙認することはできない。武力行使の是非は別にして、これは私自身の基本的な立場である。
 シリア問題に関してもう一つ私が注目しているのは、クルド人の判断である。シリア国内のクルド人は少数民族として内-外の中間的な独特の立場に置かれている。ロイターの報道によれば、その国内最大組織である「民主統一党」のサレハ・ムスリム代表が「現状で化学兵器を使うほどアサド大統領は愚かではない」と発言している。もちろんこれはシリア情勢のなかで決して中立的な発言ではない。だが少なくともアサド体制の性質をよく知る者の発言として重いものがある。
もちろん今回の化学兵器の使用による被害はダマスカス周辺の広範囲にわたる地点に及んでいるようであり、これらをすべて反政府勢力側の兵器の誤用等に帰することはいささか無理があろう。だがいずれにしても米国としてイラクの時のような事実の誤認や誤解に基づいた軍事行動だけは、決して採るべきではないだろう。それはのちに大きな禍根を残す結果になるからである。

(2013年9月7日記)

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