日本中東学会

年次大会・公開講演会・研究会等

日本中東学会第5回公開講演会

公開講演会「21世紀のイスラームとイスラーム世界」報告

長沢栄治

昨年の12月8日(土)に日本中東学会は、例年どおり公開講演会「21世紀のイスラームとイスラーム世界―日本とイスラーム世界とのかかわり」を開催した。今回は、東京以外でも研究成果の公開を積極的に展開すべきであるという考え方から、昨年まで使用させていただいた慶應大学三田キャンパスから、愛知県・名古屋国際会議場に会場を移して実施した。

公開講演会の大きな狙いは、タイトルの副題が示すように、今後ますます重要性を増すイスラーム世界と、私たちはどのように付きあっていくべきか、その基本的なあり方を考えよう、ということにあった。9月11日事件の後でもあり、時宜にもかなった適切なテーマ選択であったのではないかと考える。案内用に作った講演会の趣旨説明では、この点が以下のように解説されている。「グローバル化の進行とともに、イスラーム世界のなかで暮らす日本人や日本で生活するムスリムが増加し、日本人とムスリムの直接の接触が増えている。歴史と文明をもつイスラーム世界をどのように付きあってゆくか、これは21世紀の日本とその社会が直面するもっとも大きな文明的課題といえる。」 今回の講演会では、こうした趣旨にもとづいて、日本とイスラーム世界のかかわりをめぐって三人の講師の方々からお話をしていただいた。講師の仕事を引き受けていただいたのは、以下の三名の方々である。

(1)佐藤次高東京大学大学院人文社会系研究科教授(本学会員)「日本人のイスラーム研究」
(2)小林寧子南山大学外国語学部助教授「東南アジアのムスリムと日本人」
(3)山岸智子明治大学政治経済学部助教授(本学会員)「帰国日本人の語る日本」

以上のうち、二番目の小林氏は、インドネシア現代史を専攻されている気鋭の研究者であるが、今回、本学会の会員ではないにもかかわらず、イスラーム地域研究に参加されているという縁もあり講演をお願いしたところ、快諾していただいた。あらためてここに記して感謝申し上げたい。

今回の講演会では、日本とイスラーム世界との関係をめぐり、以上三つの講演を通じて、日本人によるイスラーム研究の歩み、東南アジアのムスリムと日本との歴史的な関係、日本に出稼ぎし帰国したイラン人の対日観といった、その多様な側面を取り上げることができた。これらは、日本のイスラーム世界との付きあい方を考えるに当たって、いずれも重要で興味深い側面である。以下、各講演の内容を簡単に紹介する。

1.「日本人のイスラーム研究」(講師:佐藤次高氏)

佐藤氏

新井白石の著作に見られるように近代以前、江戸時代の日本には断片的ながら、すでにイスラーム世界に関する知識が伝えられていた。その後、明治以降になってヨーロッパ経由でイスラームやムハンマドに関する情報が入ってくるのにともない「日本人によるイスラーム理解の原点」となるいくつかの著作が出版された。ただし、これらの著作にはヨーロッパ人のイスラーム世界認識の偏向も映しだされていた。その後、日本人がムスリムとして初のメッカ巡礼を行なうなど、イスラーム世界を直接的な体験で認識しようという試みも生まれたが、一方で軍部の要求にもとづいて、戦争中にはアジアのムスリムに関する実態調査がなされた点も忘れてはならない。戦後、本格的なイスラーム研究が再開される。その後の歩みについて、講師は以下のように研究者の世代を区分して解説された。戦前のイスラーム研究を継承・発展した前嶋信次・井筒俊彦両氏から、嶋田襄平・本田実信・中村廣治郎各氏のように欧米の大学への留学経験者を主流とした世代、そして1960年代以降、中東諸国に留学し、現地調査と史料収集に従事した新世代の登場。

2.「東南アジアのムスリムと日本人」(講師:小林寧子氏)

小林氏

佐藤氏の講演と同じく、日本人と東南アジア・イスラームとの最初の出会いについて、江戸時代の漂流漁民孫七による「あるがままの記憶」東南アジア見聞記の紹介から始める。その後、日本軍による東南アジア占領とも結びついて展開した戦略研究としてのイスラーム研究を概説し、とくにムハンマディヤやナフダトゥル・ウラマーに結集したインドネシアのムスリム知識人と日本の占領行政との関係について最近の研究の紹介を行なった(詳しくは小林氏著「インドネシア・ムスリムの日本軍政への対応」倉沢愛子編『東南アジア史のなかの日本占領』早稲田大学出版部1997年参照)。しかし、戦後の日本は、こうした戦時中の経験がほぼ忘れられた形で独立した東南アジア諸国と付きあってきたこと、そして戦後の日本人の東南アジア研究もまたアメリカの地域研究を手本にしたため、ナショナリズム研究が主体であり、研究対象としてのイスラームの重要性が認識されはじめたのは1970年代以降である点などを指摘し、東南アジアのムスリムと日本人の関係史を考える基本的な視点について問題提起した。

3.「帰国イラン人の語る日本」(講師:山岸智子氏)

山岸氏

出稼ぎなどで来日するイランの人たちは、私たちの身近でもっとも接する機会の多いムスリムである。講師は、イラン人の日本への出稼ぎにいたる背景(対イラク戦争の終結とバブル経済といったタイミングなど)や、日本での社会生活とその問題点(法的地位・居住地域・仕事・生活情報と娯楽・犯罪)について説明し、その後で帰国イラン人のインタビュー調査の記録を紹介した。この現地調査は、イスラーム地域研究プロジェクトの一環として昨年夏に行なわれた。調査に応じてくれた帰国イラン人の多くは、日本での「経験」を懐かしむ態度を示し、日本に対して好意的な印象をもっていた。その一方で労災の問題をはじめとする軋轢など、その経験談の内容は多様であった。また、秩序・安全重視の日本社会に好感をもつ一方で、自分たちの社会と比較して家族の絆が弱く人間的感情が乏しいといった消極的な印象も抱いていた。講師は、ふつうのイラン人が味わった異文化体験を、彼らの生き生きとした姿と肉声を伝える撮影ビデオの映像を紹介しながら熱心に語りかけた。

さて、以上の三氏の講演に先立って加藤博日本中東学会会長から挨拶があり、また中東学会の紹介と会員への勧誘も行なわれた。講演はそれぞれ有意義で興味深い内容であったが、残念ながら聴衆の数は当初の期待ほどには多くはなかった(とくに学生など若い人たちの姿が)。大学などへのポスター配布、新聞の催し物欄への講演会案内の掲載など、事務局による宣伝にぬかりはなかったと思うが、今後の反省の材料にしたい。ただし、聴衆のアンケートの中には、中東・イスラーム関係の情報に接する機会が少ない同地域で講演会が行なわれた点を評価したいといった内容の感想もあった。

今回の公開講演会の開催に当たっては、文部科学省の平成13年度科学研究費補助金研究成果公開促進費の助成を受けるとともに、イスラーム地域研究プロジェクト(文部科学省科学研究費学術創成研究)の後援もいただいた。また、最後になったが、講演会の運営に当たっては、池田美佐子学会員(光陵女子短期大学)に大変お世話になり、また阪田順子学会員(光陵女子短期大学)にもご助力をいただいた。ここに記して感謝申し上げます。