日本中東学会

中東研究レポート

ラッカに死す―伊人神父の温藉

森戸 幸次

ダマスカスから北東へ130キロ、荒涼としたシリア砂漠を車で走り抜けると、カルヤタインと呼ばれる砂漠地帯の一角にキリスト教の修道院が存在する。5〜6世紀に建立された由緒ある教会の建物だが、この地に根を張って地道な伝導活動を通じて民族と宗派、党派に分断されたシリア社会の融和と信仰の対話を説くイタリア人神父の存在が脚光を浴びている。パオロ・ダル・オグリオ神父。「私は1980年にシリアに移り住んで30年、この国は第2の故郷です。でも、シリア社会は今、大きな危機に瀕しています。国民が民族、党派、宗派に分かれて対立し、これを放置すれば、やがて分断国家になってしまう。民族、宗教、政党の違いを乗り越えてシリア人として団結しよう」(カルヤタイン修道院にて筆者との対話)。

パオロ神父は30歳で司祭になった後、キリスト教徒とイスラム教徒の融和を願って1970年代にローマから中東に入り、ベイル−トで数年間アラビア語を研鑽した。シリアに移動し、ダマスカスから北東約80キロ離れたビザンツ時代の11世紀に建てられた修道院(マルムーサ教会)に移り住んだ。

カルヤタインからさらに40キロ離れた山頂にある小さなこの教会にはシリア人だけではなく、今や欧州をはじめ世界各国から信者、学生、学者らが集まり、パオロ神父の説教に耳を傾ける。

筆者もパオロ神父と一緒に峻険な山道の階段を登ってかの地に投宿、日が落ちた夕刻に着いたため、山頂の教会は暗闇の中、人影もなくひっそりと静まり返っていた。出迎えの修道士の方々から温かく歓迎されたとはいえ、岩山をくり抜いた宿泊用の小屋に案内され、室内は照明や暖房用のスト−ブもなく真っ暗闇。シリアの真冬の夜は深々と底冷えし、とても忍耐強い修行者のようには振る舞えず、思わず音を上げてしまった。

2011年3月、シリアでアサド政権に反対する民衆運動が始まると、パオロ神父は民衆の変化と自由を求める非暴力の抗議活動に共鳴。このため、アサド政権は同年11月、彼の国外退去を要求、この時は政治活動をしないことを条件になんとかシリア滞在が認められた。

宗教者の立場から人間の生の尊厳と自由意思の擁護を説くパオロ神父。彼が探求する普遍的な価値観は、政治的自由・民主主義・人権を普及させる政治のグローバリゼーションの大きなうねりに共鳴しながらシリア社会に静かに浸透している。カルヤタインで会った60歳代のある反体制活動家は「われわれは、政治の自由、人間の尊厳、基本的人権の尊重の実現を目指しており、世俗的で多元的な複数主義に基づいた市民社会を築くことが必要です。平和的な手段を通じてこの目標を実現したい」と、もの静かに語ったのが印象的だった(カルヤタインにて筆者との対話)。

ところが、パオロ神父は2012年6月13日、シリアのアサド政権から突然、国外追放された。ホムスで殺害された友人の追悼ミサをマルム−サ教会でイスラム教徒とキリスト教徒参列のもとに行い、これが政治活動に当たると判断されたためだった。「変革、民主主義、人権、尊厳を求めたことが、アサド政権に対する挑発行為と見なされたのです」(パオロ神父、The New York Times ,20june2012)。

その後、パオロ神父は1年後の2013年7月、反アサド反政府勢力の支配下に入ったシリア北東部ラッカに出向き、市民から熱烈に歓迎された。「ラッカはついに(アサド政権の抑圧から解放されて)自由シリアの首都となった。私は今、イスラム教徒と連帯するため断食をしている。アサド体制打倒をめざす民主的な聖戦(ジハ−ド)が必要だ。シリアの自由への道を歩み続けよう」 (The NewYorkTimes,20Aug.2014)。

だが、ラッカを制圧した反政府陣営の中で世俗派とイスラム勢力による主導権争いが激化し、イスラム過激派の「イスラム国」がクルド人勢力と衝突して多数を人質にするなど、極めて危険な事態に発展した。

同年7月29日、パオロ神父は単身ラッカに乗り込んで「イスラム国」側と人質の解放や停戦に尽力したが、その後、突如、消息が途絶えてしまった。8月14日、ロンドンにあるシリア人権監視団体は、パオロ神父が「イスラム国」の手で拉致され、その後殺害されたことを公表、ラッカの人権活動家からの情報ではパオロ神父は「イスラム国」の手で殺害され、いつ、どのように殺されたのかは不明だ、という。

シリアのキリスト教徒は人口2300万人の約200万(8%)と比較的多く、パオロ神父と同じ運命に遭う聖職者も急増している。第2の都市アレッポのヨハンナ・イブラヒム大司祭、ギリシャ正教のポ−ル・ヤズギ大司祭、ホモスのバン・デル・ルグト神父(オランダ人)らが「イスラム国」らイスラム過激派の標的になっている。

パオロ神父のように、内戦下のシリアやリビア、イラクをはじめ混迷が深まる中東の紛争の地で民間人らが次々に犠牲になる事態が広がっている。こうした悲惨な現実を見ると、さながら中東は、噴火口の上にさまざまな危機と紛争を孕み、火山の上空に黒煙が広がり、いつでも噴火しかねない様相を呈しているかのようだ。中東世界を襲った大津波がこの地域の政治を疲弊させ、自由と変化を求める民主革命の波に吞み込まれ、混迷が広がり、ここから生まれた荒廃の中で中東の人々は生きようと苦しんでいる。「アラブの春」を経て、中東世界は今日、革命の余波に揺れる社会のカオスと国家の分裂危機、再編への模索など国造りのあり方が問われる大きな動乱期を迎えている。

こうした中東の動乱をもたらしたものは何か。これから中東はどこへ向かうのか。21世紀の中東世界が入り込んだ長い暗闇のトンネルから抜け出し、将来の希望の道は見いだせるのか。歴史の転期に立つ中東現代史の流れやこれまでの積み重ねてきた中東の現実、経験、知識に基づく深い思索を通して、中東の地域研究はこの地域の将来に確かな見通しを得ようと試みる。中東の混迷を咀嚼できる理解力と、この地域の動向を的確に掘り下げて読み解く明晰透徹した深い洞察力を備えた歴史の読み手として、将来の道筋を指し示す道しるべ役として、困難だが確かな力量が試されているとの自覚と覚悟が現代の中東研究には求められている気がしてならない。

(静岡産業大学 moritok[at]tky3.3web.ne.jp)

(2015年3月16日記)