日本中東学会

中東研究レポート

日本・中東関係の曲がり角―意思表示の時

水谷 周(makmizu123[at]hotmail.com)

先般の日本人人質殺害事件は、日本政府とその外交政策を敵視するという刮目すべき事態で始まった。それだけに日本と中東との関係は大きなコーナーを曲がったという認識が共有されている。それは緑信号から黄色に変わったというもので、過度の警戒心は当たっていない。他方日本側の心の準備を適時、適量に調節するのも容易ではない。今後へ向けて、小学気付きの留意点を記したい。

1.混迷は非論理ではないこと

アラブ・ムスリム社会が混迷の時代にあるとしても、意外と論理的な展開を示している。例えば、昨年6月に「イスラム国」の樹立が宣言されて筆者が思ったのは、理にかなっているなということである。それはスンナ派に基づく純粋なイスラーム社会を構築するという。サダム・フサインが米国に追放されてシーア派が進出し、そのような中、スンナ派が黙っているのだろうか、というのが筆者の当初以来の大きな疑問だった。

事後に解説するのは容易であるが、ここで強調しておきたいのは、論理が一貫している点である。狼少年になるのは誰しも望まないが、論理的に想定される惨状に関しては専門家は果敢に必要な警鐘を鳴らす覚悟を持つべきなのは、地震学者と同様であろう。

2.日本の平和ボケ

今度の人質殺害事件を経ることで、多くの人が平和ボケを感じたことかと思われる。70年間の泰平の世を過ごすことで、「敵の敵は友、しかし敵の友は敵」という単純な方程式が感覚的にピンと来なくなっている。「ここは戦場だ」といった血生臭さからも縁遠くなってしまった。研究者にも反省される点が含まれているのではないだろうか。

3.イスラームは新たな価値観

世界人口の約4分の1になろうとするムスリムの数は、圧倒的といえよう。その存在を前提に物事を考える必要があるので、それは好き嫌いをはるかに超えた現実ということである。またイスラームが強いのは新平等主義とでもいえるような欧米とは異なる価値観を体現しているからである。人々は本源的に平等であり、ただ法の前の平等を形式的に唱える民主制よりは一歩も二歩も前に進んで、実質的な平等こそが人間だとするのだ。そうなると福祉や介護活動がイスラームの主要な社会活動であることもうなずける。イスラームに違和感を持つのではなく、人類に新たな価値とその世界をもたらすものとして学ぶ姿勢と努力が、今後の関係維持と相互の恵みを担保するのではないだろうか。

4.意思表示の必要性

日本からの発信を緊急に強化する必要性がある。中東は近くなったのであり、能動的な取り組みは研究者自身にも資するところが大きいのではないか。事例として、恨みではなく危惧と期待を持っているとする、以下のような日本人市民団体のメッセージがこの3月初めに発出された。ここには日本語のみ掲載するが、英文とアラビア語文も準備されているので、ご要望の向きあれば、筆者までご連絡願いたい。

激動する中東への日本からのメッセージ

中東を思う日本人グループ 2015年春

「イスラム国」は世界に激震を与えているが、それでなくても大きな変貌を遂げつつある中東地域の状況を、憂いと期待を持って見ている日本人グループとして、次の通りのメッセージを中東の人々にお送りする。

    昨今の激動は中東諸国の幾世紀に渉る蓄積を背景としており、決して表面的な現象でもなく、またそれは大きな潮流を離れた突然変異でもないと見られる。
    長期の軍事政権に対する抵抗の活動、選挙を初めとする民主的制度の実施努力、不正や腐敗を糾弾する人々の要求、そして伝統的な諸価値に対する再検討の呼びかけなど、様々な側面に激動の震源地が見出される。
    同地域の人々も平和で安定し繁栄する社会を建設したいという願望は、世界の他の人々と全く同一であるとしても、その背景は固有で異なるものがある。その中からの新しい姿を模索している現状は、流動的であり安易な楽観論を許さない。
    このように世界の中でも注目される窮状であるが、それに対しては域内諸国の人々の一層の忍耐と英知が強く求められる。中でも伝統の良さの継承とその柔軟な現実への適応という点が問題であろうが、域内諸国の人々、中でも有識者の尽力は必須である。
    一つの価値や制度が全く変化しないで、そのまま人々に有効であるということは、歴史的に実例がないことは確かである。なぜならば、人間は変貌を遂げるからである。同時に確かなことは、現実に適応するための変化を包摂しつつ発揮される価値こそ本物である。
    人間の持つ尊厳とかけがいのない価値を今一度確かめ、世界の平和と繁栄に貢献する諸原則や諸制度の創設と確立へ向けて、中東諸国の人々が確かな歩みを開始することを、われわれグループは大きな期待を持って呼びかけるものである。

呼びかけ人: 飯塚正人、近藤久美子、樋口美作、太勇次郎、水谷周、宮田律、吉村作治(アイウエオ順)
賛同者60名(市民、研究者、学生、報道関係者、宗教活動家など)

(2015年3月12日記)